お知らせ・日記
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育英事業に熱意 五代目 木村円吉
日付:2024年01月18日 カテゴリー:乾児 絆
商大の敷地も寄付 『勉強したい者にはいくらでもお金をだしてやる』というのが、この人の口ぐせだった。商家に生まれ学ぶ事の出来なかった円吉は、事業家として成功すると、家庭的に恵まれない生徒たちにポンと奨学資金を与えた。円吉の […]
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‶手宮鎮台の名声 二代目浜名甚五郎
日付:2024年01月15日 カテゴリー:乾児 絆
(浜名運送部の本拠だったこの建物はまだそのおもかげを残している)みごとな経営手腕 『侠客浜名甚五郎一代の侠名を小樽にうたわれる先代甚五郎氏は明治二十六年をもって白玉楼中の人となり、侠名なお万人の口にするところ。現代甚五郎 […]
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小樽の碑文 6入船地区(1)住吉神社境内 高橋利蔵 その一五
日付:2024年01月14日 カテゴリー:祭り・祈り
37石段奥の石段 明治三十二年七月建之 小樽 遠藤又兵衛38灯篭中谷氏の灯篭 明治二十八年七月 中宇 阿波鳴門名産石ヲ以建之 徳島縣人 当地南濱町 中谷宇吉『38は灯篭ではなく狛犬でした。』3 […]
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運送界の先覚者 二代目中谷宇吉
日付:2024年01月14日 カテゴリー:乾児 絆
侠気と純な実行力が身上 宇吉は明治二十年二十歳のとき来樽、養父の仕事(ハシケ仲仕業)を手伝った。身長が一・八㍍(六尺)もあり、からだが大きく義侠心に富んでいたので、彼には適した仕事だった。 同二十六年当時内務大臣だった井 […]
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小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十)
日付:2024年01月13日 カテゴリー:発見・新事実
三 海産商の盛況と鰊不漁の影響 手宮から色内にかけて、これら海産商が軒を重ねていた。大正初期の小樽市の産業報告によれば、「小樽市場より輸出される海産物総額約八百六十万円を算し、内拾万円は外国輸出向の塩乾魚で其他の大部分は […]
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苦学して独立 戸羽亨
日付:2024年01月13日 カテゴリー:乾児 絆
率先して 近代的な手法 亨は現北照高校で夜学しかなかった時代の第一回生。色内町に宏荘な店舗を設け小樽屈指の海陸物産商として有名であった。明治十年岩手県気仙沼小友村五ヵ村の戸長をしていた安五郎の二男として生まれた。しかし自 […]
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一厘の倹約で産 名取高三郎
日付:2024年01月12日 カテゴリー:乾児 絆
金物、鋼材で有数の問屋に 『人間若いときに働いて貯金をなすべし。年ごろになれば妻を迎え子供は生まる。妻方、親類の交際などのため費用多くなるゆえ、独身のうちに働いてカネを残せよ』これは高三郎の祖父がよくいっていたことだった […]
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船主同盟つくる~麻里英三
日付:2024年01月09日 カテゴリー:乾児 絆
克苦精励し地位を築く 『①商売女はいいが、しろうとに手を出してはいけない②無尽にはいってはならない③人に迷惑をかけるな…とオヤジは常日ごろいっていた。だから海難に会って商売に失敗すると、人に迷惑をかけない、金も借りないと […]
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最も…
日付:2024年01月03日 カテゴリー:2025(R7)店
新年あけましておめでとうございます。 人生で最も充実している時間は?と、尋ねられたら…私は迷わず、『もっと上手になりたい。もっと…。そう、修行しているときです。』と。Nsshoのコマーシャルに出ている渡辺絵美さ […]
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少し早めに
日付:2023年12月30日 カテゴリー:2025(R7)店
いつもの年より少し早めに飾りました山葵と九条ネギも植えました身欠きにしん作り干ダコにも挑戦中良いお年を

そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日