お知らせ・日記

  • 昭和会あとさき(上)  

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:う~ん

    ・・・・・・。 こういうことを長々と書立てるものは、今の自由党の前身ともいえる昭和会が昭和2年結成された。提唱者は杉江仙次郎さんであったろう。然し結成されざるを得ないものが当時の小樽にみなぎっていたのも大仰だが流れていた […]

  • 企業(中小)の救い主 竹田助太郎

    日付:2024年02月10日 カテゴリー:乾児 絆

    奨学学資金制度生みの親『まがったことが大きらい。正直の上にバカのつくぐらいの人でした…』…いまはなき夫を語るカウ未亡人(六七)のことばを裏書きするように、助太郎の業績はいまなお市民の間に浸透している。新潟は直江市、自作農 […]

  • 汽船部を設立 初代 酒井正七

    日付:2024年02月09日 カテゴリー:乾児 絆

    有数の回漕業の地位 『他人に迷惑をかけない人間がまともな人間といえる』『人間として生を受けたからには人のためにならなければならない』と正七は常に口にしていた。 正七は新潟県柏崎市で米穀業を営んでいた松原城慶の二男として生 […]

  • ガンコおやじ 畑貫治

    日付:2024年02月08日 カテゴリー:乾児 絆

    『北選米』売り出す 『まじめに生活しなきゃ世間の人にきらわれる」と口ぐせにいっていた貫治は、米穀業者やお客さんの間でガンコおやじとしてけむたがれていた。 明治十九年一月十九日石川県の坂井家でうぶ声を上げた。家があまり裕福 […]

  • 海運界の風雲児 二代目 塩田安蔵

    日付:2024年02月07日 カテゴリー:乾児 絆

    樺太航路に豪華船造る 現代風にいえば豪華客船とでもいおうか、昭和の初め安蔵は全財産をたたき売って千六百㌧の貨物船を買った。そして小樽―樺太間の貨客船に改造して就航させた。この船『永宝丸』といったが、客の間にすこぶる評判が […]

  • 三等車で折衝に 河原直孝

    日付:2024年02月06日 カテゴリー:乾児 絆

    市長時代 あくまで温厚な人 『河原はなんにでも納まる徳のある人間だった』と先輩の田辺新一はいう。 直孝の父が京都府立第一女学校の校長をしていたころ小樽選出代議士の寺田省帰が同校の先生だった。こんな関係で直孝は来樽、北海道 […]

  • 北洋漁業に着目 新谷専太郎

    日付:2024年02月05日 カテゴリー:乾児 絆

    日ソ貿易の促進を図る 専太郎は先代喜作の跡を継ぎ、漁網の製造と販売。ロープ商なども行なったが、さらに小樽市街自動車の専務、小樽取引所と北海製紙の監査役などにたずさわり活躍した。 さらに早くから北洋漁業と日露貿易にちゃくも […]

  • 終生‶三等〟を利用 初代 中村卯太郎

    日付:2024年02月04日 カテゴリー:乾児 絆

    本道初の劇場(宝栄座)建設 『運、鈍(鈍重)、根(根…この三つのことばが好きな人だった。口ぐせのように‶頭がよくなくても、根気よくまじめにやれば天は助けてくれる〟といっていた。酒飲まず、タバコも吸わない当時の材木商として […]

  • たら  レバ

    日付:2024年02月03日 カテゴリー:ほんの少しの配慮があれば…

    この時期美味しい たら 『昨日は、タラのカマを焼いて食べました。』わたしのだいすきな レバ 『お気に入りは、南樽市場亀山精肉店の混合ホルモンです。』 〇近所の方の質問に 答えてい たら…私は隣人に①たくさんの種 […]

  • 外柔内剛の人 杉江仙次郎

    日付:2024年02月02日 カテゴリー:乾児 絆

    中央バスの前身を築く 『人の保証をしてはいけない。そうしたはめに追いこまれることもあろうが、そこはこらえて、たとえ兄弟、縁者でも保証はしないこと…』仙次郎は養子の猛=現中央バス専務、杉江商店社長=に店を譲るとき、こういっ […]