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  • 田村平治 (その三)

    日付:2015年07月20日 カテゴリー:人

      E 和子夫人と自宅で昼食。かぼちゃの煮物、昆布煮、漬物など10色のおかずが。生に近いイワシの干し物(酢醤油で)と、花ガツオ、ショウガ、ネギ添えの生揚げを焼いたものが好み。 ー感謝の心を忘れるなと。  「私ら […]

  • あのころの山 (赤岩山 その4)

    日付:2015年07月12日 カテゴリー:人

     懸垂  懸垂は技術よりも精神である。岩登りの初歩は懸垂で肝玉を練る。ー山のアルバムよりー w1(ドリョク岩)西面の懸垂練習  右肩上から左脇下にザイルを垂らす下がらみの人が多いが、私らのころは、右脇をまいて左肩から垂ら […]

  • あのころの山 (赤岩山 その3)

    日付:2015年07月05日 カテゴリー:人

    w1ベルギー岩南東面  左スカイラインが北大ルート。左取付から正面二斜め上にあるクラックから右上の樹木のある裏側へ廻りこむルートを、中島と私でつけた。右側に下部のオーバーハングして上までつづくクラックがある。「あのクラッ […]

  • あのころの山 (赤岩山 その2)

    日付:2015年06月28日 カテゴリー:人

       戦前の山行三分の二の時間が、赤岩山の岩場にあった私は、いま思うに、当時の生活環境が金と時間にめぐまれなかったからの一語につきる。身近な日帰りのできる赤岩山は交通費をかけないですんだ。このごろは誰もが利用す […]

  • 田村 平治 (その二)

    日付:2015年06月23日 カテゴリー:人

      C~愛蔵の器。上は魯山人の織部、右は清水六兵衛、左は正倉院天平馬の写し。「何を盛ってもええ。名器は料理を選びまへん」 ー関東の味つけに驚かれたことは?  「初めて本格的な江戸前料理を見たときは心底、魂消まし […]

  • あのころの山

    日付:2015年06月14日 カテゴリー:人

    赤岩山「窓岩」  拙著「小さないただき」の赤岩山小史に、社会人が岩登りをはじめたのは一九三四(昭和九年)と書いたが、この書のために古い書庫で資料を探しているとき、もっと早いことがわかった。リーダーの菅谷重二氏(以下、単に […]

  • 文学の中の小樽 武者小路実篤 「或る男」

    日付:2015年06月13日 カテゴリー:人

     石造倉庫や問屋街が続く堺町かいわい ~初恋の人の住む町~  明治四十四年(一九一一年)五月、札幌に白樺派の先輩作家有島武郎を訪ねた武者小路実篤は、そこで満二十六歳の誕生日を迎え「誕生日に際しての妄想」と題した長詩を書い […]

  • 田村平治

    日付:2015年06月04日 カテゴリー:人

    A 料理人、「つきぢ田村」主人 ~大根の皮の醤油煮が私の料理の基本です。捨てるな、素材の生命を慈しめ、ですわ~ ーお食事中、失礼します。  「どうぞどうぞ、じき終わりますさかい。私は何を食べてもおいしそうに見えるらしいん […]

  • 蝦夷の大臣 藤山

    日付:2015年04月29日 カテゴリー:人

      小樽でも明治十三年『諸物価を均一にし、人民に広く商況をしらしめんがため』に相場会所が、明治十六年には会員数十人を擁する興商会が『取引上の紛擾を和解し、商業上の質疑に応答すること』を目的として設立される。そして明治十八 […]

  • きら星のような殿様たち

    日付:2015年02月22日 カテゴリー:人

    2代目板谷宮吉夫婦  小樽商業会議所(小樽商工会議所の前身として1895年(明治28)創立)の創立議員には、野口家隆盛の糸口を作った石橋彦三郎はじめ、藤山要吉、山田吉兵衛、板谷宮吉、高橋直治など、幕末生まれの猛者たちが名 […]