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  • 安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (六)

    日付:2015年09月09日 カテゴリー:人

     教育界では戦前、戦中、戦後にかけて長く初等教育の双璧と仰がれた高山喜市郎・横山友次郎の両先生。高山先生は一期市議を務められたがともに公選の教育委員として、連合PТA会長を勤め新学制をめぐって教育制度や倫理については相当 […]

  • 安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (五)

    日付:2015年09月07日 カテゴリー:人

     安達市長が四期十六年の市政運営を蔭で強く支えていたのは小樽中学(現潮陵高)同期生の工藤修三氏である。物心ともに市長は工藤氏の奔走によってその大任を果たし得たといっても過言ではない。工藤氏は謹厳実直、古武士的な方であり、 […]

  • 安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (四)

    日付:2015年09月04日 カテゴリー:人

     全国市長会の会長や日本港湾協会長、全国港湾都市協議会の会長もつとめられた神戸市長の原口忠次郎氏は工学博士で都市づくりに独特の識見と力量を発揮され、安達市長は神戸と小樽が地形的に相似していることと、原口氏と正副の役員とし […]

  • 安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (二)

    日付:2015年08月31日 カテゴリー:人

     安達市政は政治的に一期、二期は革新色が濃く、三期、四期は保守系とみられていた。これは偶然にも道政と連動し、田中道政、町村道政に直結した市政の展開となった。もちろん、安達市長は無所属であり、いかなる党、いかなる階級にも拘 […]

  • 安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (一)

    日付:2015年08月30日 カテゴリー:人

     「人との関係を大切にすること」は安達市長のモットーであった。公務で出張されると必ず訪問先の礼状に添え書きをして発送することや、帰樽すると必ず「留守中はいろいろ有難うございました。昨夜○○時帰樽いたしました。ご主人によろ […]

  • 本当のリベラリスト

    日付:2015年08月22日 カテゴリー:人

     一九五二年(昭和二十七年)六月でございました。モリエール『守銭奴』と、近松門左衛門の『俊寛』と、舞踏劇『どんつく』をもって北海道を翫右衛門兄と私が中心になって巡演しておりました。この時でございました。大変に無謀な警察と […]

  • 翫右衛門脱走

    日付:2015年08月21日 カテゴリー:人

     昭和二十七年夏のこと、当時共産党の前進座が北海道地方巡業に来て道内各都市を公演していたときである。赤平町(現赤平市)で許可なく小学校を会場に使用したという理由で当局から家宅侵入罪の容疑がかかり、一座の責任者である中村翫 […]

  • 札樽バイパスのころ

    日付:2015年08月18日 カテゴリー:人

    二、札樽バイパスの建設 (ァ)北海道の自動車専用道路計画 ・日本道路公団では道内の有料道路を函館―札幌―稚内をむすぶ「北海道縦断高速自動車専用道路」と小樽―札幌ー釧路をつなぐ「北海道横断高速自動車道路」として計画した。そ […]

  • 立体高架と札樽バイパスのころ

    日付:2015年08月16日 カテゴリー:人

     一、小樽南樽間国鉄線の連続立体高架化複線事業(ァ)現在国鉄小樽駅から札幌行に乗車すると列車は富岡橋と稲穂小通りの道路橋の下をくぐり抜けて、漸次高架構造の軌道の上をはしり、商大通りの上を跨道橋でまたいで(以前は道路が鉄道 […]

  • 国鉄の高架化

    日付:2015年08月14日 カテゴリー:人

     ふるい小樽の町だけに、鉄道の開設されたのが、日本では三番目である。第一番目が東京から新橋、第二番目が京都から神戸、第三番目が小樽から幌内間、開通したのが明治十三年である。これは、道内出炭地から小樽港を経て本州へ石炭を輸 […]