カテゴリー:港・運河
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写真で見る小樽港の移り変わり 99
日付:2015年10月10日 カテゴリー:廣井山脈
小樽港の形成については、松前藩政時代にさかのぼる長い歴史があるが、小樽港という名称になったのは、1872年(明治5年)である。そして1899年(明治32年)外国貿易港として指定されたこの年を、開港年としたのである。 今 […]
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明治・大正の小樽をみる (その1)~小樽港 82
日付:2015年06月05日 カテゴリー:廣井山脈
小樽の港について伊藤整が書いた一文がある。 『この港に泊って朝早く目を覚ますと、太陽が正面の海から昇るのに初めての人は驚く。この港が面しているのは日本海である。それなのに海から太陽が昇る。だからこの港は東向きである。天 […]
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消えゆく有幌倉庫
日付:2015年03月21日 カテゴリー:港・運河
灰色のカベ石が高くそびえ、どこまでも続くこの倉庫街は、小樽を代表する建物であります。と、云いますのは、テレビや映画で紹介される時は必ずといっていい程、この倉庫が写し出されます。 この倉庫は屋根がカワラぶきで、りっぱな […]
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おたる百年の点景 ⑪ 海運
日付:2015年03月08日 カテゴリー:港・運河
小樽開基のころ、冬の寒さはいまよりずっときびしかった。海は荒れ狂い、海岸には氷も張ったらしい。十月から三月まで往来する船もなく、ニシンを追って移住してきた“小樽っ子一世”たちには心細い毎日だった。ようやく岸の氷も薄く […]
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仲仕の話~銃後を守った女仲仕
日付:2015年03月07日 カテゴリー:港・運河
七 銃後を守った女仲仕 太平洋戦争もたけなわ、皆とも戦時色が強く感じられるころ、暁部隊が千島に転戦することになり、何万という兵卒が市内に民宿をしました。夜はお寺や神社を臨時の演芸場とし、長途の疲れをいやしたり、また、宿 […]
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仲仕の話~気どらない小樽ッ子
日付:2015年03月05日 カテゴリー:港・運河
八 気どらない小樽ッ子 小樽ッ子は気どったことが大きらいです。私は月に二、三度、外出する機会がありますが、そんな時には決まって行きつけの店に立ち寄ることにしています。 のれんをくぐると、頭のハゲた主人は威勢よく「いら […]
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仲仕の話~仲仕の扱いは馬以下であった
日付:2015年03月01日 カテゴリー:港・運河
六 仲仕の扱いは馬以下であった 昔の船は蒸気船でしたので燃料は石炭でした。幌内から来た石炭は築港に降ろされます。それをハシケに移し、本船のバンカー(貯炭場)の中に入れる仕事が石炭仲仕の役割です。まず、ハシケに移すにはパイ […]
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ハシケ荷役
日付:2015年03月01日 カテゴリー:港・運河
あたる再発見より 明治、大正時代にかけ、小樽港の貨物の荷役はハシケにとっていた。ハシケ荷役に従事した港湾労働者は、沖仲仕、陸仲仕(陸方ともいう)、ハシケ人夫、倉仲仕などに分けられた。 沖仲仕は、停泊した本船から貨物を […]
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仲仕の話~朝から深夜遅くまで働く
日付:2015年02月28日 カテゴリー:港・運河
五 朝から深夜まで働く ・沖仲仕 沖に停泊している本船に十人から二十人ぐらいの仲仕が乗り込みます。ウィンチがハシケから荷物を持ちあげ、ダンブル(船倉)に入れますが、それを整理して積み上げるのが彼らの仕事です。また本船か […]
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仲仕の話~ケガと弁当、自分持ち
日付:2015年02月27日 カテゴリー:港・運河
四~けがと弁当、自分持ち 仲仕は、朝三、四時ごろギッシリと詰まった二色弁当を持って家を出ます。手宮から色内川下に行きますと、ナカイチとかマルコウという屋号を書いた弓張り提灯がズラリと並んでいて日雇いを集めます。 袢纏 […]
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日