カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

  • ご大尽輩出の華麗さ~㉖

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     石狩漁場 井尻正二がさいきん学者らしい良い本を出した。  題して「石狩湾」 石狩湾の網元のせがれで小樽に住んだおやじさんと、大正デモクラシーの自由平等をつらぬこうとする息子、それに母をまじえた感動の青春時代を書いたもの […]

  • 小樽映画暮色~㉕

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    エムデン号の頃 ビデオの時代というのだろうか。 映画館がいつ「開拓の村」入りするかと思っていたら、なんと近頃はかつてのブームを盛り返しそうな繁昌だという。中味なのだ。モノがよければ需要はある。が、いつまで続くか? 映画館 […]

  • 明治人の小樽④~㉒

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    板谷財閥のスタート 杉野はいずこ…… という昔むかしの軍歌をご存知か。 あわれや杉野兵曹長は行方知れずになり探し求める広瀬中佐も砲煙弾雨のうちに救国の花と散り果てる。日露戦争旅順港閉塞作戦の一幕だが、もう八十三年前になっ […]

  • 明治人の小樽③~㉑

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    「商売は別さねぇ」 戦前、札幌一のカフェーだったススキノのエルムの前で夜の談義がはじまる。「きょうは不景気のようだ。あまり金持が来ていないぞ」「まだ十時まえだ。これからだ。キミのクルマの調子はどうだ」「女心とエンジンは秋 […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」名ジャンパーは、小樽っ子ばかりだった~⑰

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     大倉山のヒーローの九割  最近の道新に、南部忠平さんと笠井幸生選手(今はコーチ)の一頁対談が出ていた。五輪金メダルの大先輩と後輩である。南部さんのロス五輪は一九三二年で、笠井選手の一九七二年札幌冬季と四〇年の […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」「うちは前だれ姿が第一」小樽高商開学精神~⑯

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     ‶昇格〟したボク  我々世代は「商大」なんて言ってもピンとこない。終戦後しばらく」小樽経専といった時代もあったが、小樽高商は小樽高商、懐かしの記憶のスペースに収まるのはそれしかない。 なにやら、えらく固執の態 […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」北防波堤は明治の聖人がつくった~⑭

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:廣井山脈

     気も荒いが仕事もやった長官たち 明治の初め、北海道へやって来た道庁長官など、いずれも血のしたたる大刀を握ったままのヤクザの親分みたいな連中ばかりであった。ヤクザとの違いは、維新の志士と言って、青二才のくせに徳川を倒した […]

  • 古き良き「小樽のひとよ」白系ロシア人の思い出~⑬

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     豪球ワージヤ 小樽はロマンの町である。 老人手帖をもらうとロがオになってしまい、昔の立った頃を思うことしきりになる。悲しきは小樽の男、その習性である。 小樽のロマンの中に白系ロシア人のメルヘンがある。日本が十五年戦争に […]

  • 山田サンが道をつけたから山田町~⑫

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

    マチの由来を続けよう…。 相生町 明治十一年(一八七八)までは土人家屋が二戸(十一人)しかなく、最初は入船町裏通りといっていた。 住ノ江町 明治十四年までは畑の土地だった。同年の金曇町大火後に貸座敷の移転地に指定され、十 […]

  • 原野と谷川に土人がぽつんぽつん~⑪

    日付:2019年01月06日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ

     どこをみても谷地であり原野である。人の通ったあとを通というのか道路というのか?いやいや松本清張というところのケモノ道であり事実、夜はコンと鳴くやつがとおり時には山のオヤジが立木に背中をゴシゴシやっていた。 町の名だけは […]