カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ
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時代にみる広告と小樽
日付:2017年03月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
大正時代、扇風機を自動電気扇、ミシンは裁縫機械という名で売られていた。 大正中期の商品記録を見ると「最近では、口つきの革製婦人用の手提げが流行している」という記述があるが、ハンドパックという商品名の掲載は無い。(昭和に […]
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海の中から港町が
日付:2017年03月23日 カテゴリー:アイヌの心
「街の呼び名を変えよ」 戦中の北部軍司令官、中将樋口季一郎の鶴の一ひと声であった。司令部がある札幌の月寒は、ツキサップと呼ぶ。これはアイヌ語くさいから天皇の国ニッポンらしくツキサムにせよ、というのである。「ハハーッかし […]
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店舗の移り変わり(その2)~花園3丁目商店街と花園レインボータウン 74
日付:2017年03月16日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ
本誌に毎号執筆している中小企業診断士の庄司俊雄さんは、3月号で「商店街は最高のコミュニティ施設である。― 商店街には市民の思い出や歴史がぎっしりと詰まっている。― 人々はここで出会い、デートし、散策し、時には家族や友達 […]
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女優・岡田嘉子と小樽(その3)39
日付:2017年03月15日 カテゴリー:人
▷ ◁ 嘉子の舞台へのきっかけは小樽から 嘉子が舞台女優になることを両親は反対していた。それが認められたのは、小樽で開かれた催しがきっかけである。 父が小樽の北門日報にいたころ、嘉子が来樽し青春のひとときを過 […]
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女優・岡田嘉子と小樽(その2)38
日付:2017年03月11日 カテゴリー:人
嘉子と小樽 岡田嘉子と小樽とのかかわりは、父が小樽区の北門日報社(現在の稲穂2~19)の主筆であったことから始まる。 嘉子は東京美術学校の洋画科に学んでいたが、あと一学期で卒業という冬休みに母といっしょに小樽の父を訪れ […]
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女優・岡田嘉子と小樽(その1)37
日付:2017年03月09日 カテゴリー:人
平成4年2月10日、女優岡田嘉子はモスクワで89歳の生涯の幕を閉じた。 今回は、時代に生きた岡田嘉子と小樽のかかわりについて記してみたい。その前段として岡田嘉子その人を紹介したい。 ▷ ◁ 嘉子の人生観と女優の […]
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戦時中のスタンプと小樽 40
日付:2017年03月09日 カテゴリー:見直せわが郷土史シリーズ
郵便局の記念スタンプは今でも多くの人に利用されているが、戦時中のスタンプはどんなものが使われていたのか。こんかいはそれを昭和17年に絞って展望してみたい。 ここに紹介するものは小樽でつくられたスタンプであるが、同時にそ […]
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小樽にある絵画の中から 58
日付:2017年03月08日 カテゴリー:学校
かつて私が市立小樽美術館に勤務していたころ、ロータリークラブで『小樽の屋根裏には宝物がある』というスピーチをしたことがある。屋根裏に限らず、応接間、茶の間、廊下、蔵や物置に貴重な絵画がさり気無く飾ったり、置かれているこ […]
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明治・大正の小樽をみる(その2)~ニシン 83
日付:2017年02月21日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
A 明治・大正時代のニシン番屋(小樽沿岸) 『海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ 雪に埋れた番屋の隅で わたしゃ夜通し飯を炊く あれからニシンはどこへ行ったやら 破れた網は問い刺し網 […]
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大正5年の小樽(その2)~サクラビール 44
日付:2016年12月29日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
大正時代の職業名の中で、旅人宿、西洋洗濯業、牛乳搾取業、紋書業、楽種業、家具師、写真師、葬具屋、玉突場、四十物(あいもの)商などの表現は面白い。 今回は、大正5年の花園町公園通りにあった店を述べてみたい。 ▷ […]
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日