カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
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蓄音機時代の小樽そのところとこころ 2
日付:2016年09月27日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
戦前、小樽新聞社は「オールトピックス」という雑誌を出していた。評論や小説の他に、郷土に関する文化など幅広い情報を提供した本であった。 その中に「ミス・ミセス北海道・樺太」という2頁にわたるコーナーがあり、毎号写真で美人 […]
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(愛称〇〇〇)
日付:2016年09月11日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
日本銀行小樽支店開設90周年記念誌(昭和58年4月発行)を見ていると気になることが… 大正 6.12 S.Kさん(愛称○○○)寮管理人となる。昭和35. 8 ○○○(S.Kさん)40数年の勤務を終えて退職 […]
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砂金のはなし
日付:2016年07月19日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
北海道の砂金採取は、明治30年北見地方の枝幸で豊富な砂金地帯が発見されたことから始まる。当時の記録によると、31年には、わずか12貫目のとどまった産金量が、32年に一挙に112貫となり、34年には258貫に激増している […]
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小樽・区制時代の雪と道路 47
日付:2016年02月24日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
小樽の郷土史家であった越崎宗一さん(明治34年~昭和51年)は、かって「雪割り」という随想の中で小樽の雪について次のように述べている。 『明治から大正にかけて、まだ今のように舗装道路にならぬ前には鉄輪の荷馬車が唯一の […]
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73年前の小樽発 その1 24
日付:2015年10月02日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
3月号は、スミスの飛行大会を通して大正6年の小樽をふり返ってみたが、今月はその翌年のイベントを中心に、大正7年の小樽に着いて述べてみたい。 「そんなの昔の話さ」「今は時代が違うよ」というかも知れないが、現在の小樽をどう […]
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『73年前の小樽発 その2』~大正7年のマチの様子 25
日付:2015年10月01日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
大正7年の小樽…。前号では開道50年記念北海道博覧会のイベントを通して当時の小樽を振り返ってみた。 今月号では、更にこの年のマチの様子に触れてみたい。 ▷ ◁ 小樽の人口は明治のはじめ2230人であったが、この […]
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古い写真にみる小樽の海水浴場 76
日付:2015年07月10日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
小樽は海岸沿いのマチなのでどこの海でも泳ぐことができるが、中でも蘭島、忍路、桃内、塩谷、祝津、熊碓、朝里、張碓、銭函の海水浴場は、砂浜、石浜などそれぞれ特色を持った海水浴場として親しまれている。特に蘭島は、広さがあり、 […]
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写真が語る大正時代のある一日~渡橋式 6
日付:2015年06月17日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
大正12年8月5日、本市花園橋の渡橋式が行われた(渡初式ともいう)。 翌日、小樽新聞の見出しは「人波を打つ花園橋の渡橋式」として、その様子を全道に報じているが、当時の活字は現在使われていない漢字が多いため、一部を新漢字 […]
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明治・大正の小樽をみる(その3)~文化的な土壌 84
日付:2015年06月15日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
A 花園町側からみた水天宮神社 この頁の写真Aは、水天宮神社の丘を花園町側から写したものである(右上が神社)。この神社については以前このHISTORY・PLAZAで記述したことがあるが、19世紀の安政年間に水天宮を祀るこ […]
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うずまくニシン
日付:2015年04月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ
(当時はニシン景気でたいへんなものだった=粒ニシンを整理する大正時代の漁師たち)司会~近江さんどうですか、当時のニシン景気で思い出を一つ。近江~ニシンはよくとれました。どこへいってもニシン景気でたいへんなもの […]
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日