カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

  • 西浦宅~その1

    日付:2017年07月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    瓦葺屋根西浦宅 南樽市場に来るたびに気になっていた国道沿いのこちらのお宅。によると大正5年平屋建、寄棟造、桟瓦葺で正面にのある起り玄関を構える。内部は和室のみ。『瓦屋根・雪の重みにも耐えうる造りなんだろうな。』

  • 時代にみる広告と小樽

    日付:2017年03月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

     大正時代、扇風機を自動電気扇、ミシンは裁縫機械という名で売られていた。 大正中期の商品記録を見ると「最近では、口つきの革製婦人用の手提げが流行している」という記述があるが、ハンドパックという商品名の掲載は無い。(昭和に […]

  • 女優・岡田嘉子と小樽(その3)39

    日付:2017年03月15日 カテゴリー:人

        ▷   ◁ 嘉子の舞台へのきっかけは小樽から 嘉子が舞台女優になることを両親は反対していた。それが認められたのは、小樽で開かれた催しがきっかけである。 父が小樽の北門日報にいたころ、嘉子が来樽し青春のひとときを過 […]

  • 女優・岡田嘉子と小樽(その2)38

    日付:2017年03月11日 カテゴリー:人

     嘉子と小樽 岡田嘉子と小樽とのかかわりは、父が小樽区の北門日報社(現在の稲穂2~19)の主筆であったことから始まる。 嘉子は東京美術学校の洋画科に学んでいたが、あと一学期で卒業という冬休みに母といっしょに小樽の父を訪れ […]

  • 明治・大正の小樽をみる(その2)~ニシン 83

    日付:2017年02月21日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    A 明治・大正時代のニシン番屋(小樽沿岸) 『海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ 雪に埋れた番屋の隅で わたしゃ夜通し飯を炊く あれからニシンはどこへ行ったやら 破れた網は問い刺し網 […]

  • 大正5年の小樽(その2)~サクラビール 44

    日付:2016年12月29日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

     大正時代の職業名の中で、旅人宿、西洋洗濯業、牛乳搾取業、紋書業、楽種業、家具師、写真師、葬具屋、玉突場、四十物(あいもの)商などの表現は面白い。 今回は、大正5年の花園町公園通りにあった店を述べてみたい。   ▷    […]

  • 日本郵船小史8~(五)欧州大戦より第二次世界大戦まで(大正5年ー昭和17年)

    日付:2016年12月26日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

    大正初期より昭和にかけ奥地向鉄道の発達により農業開発が大いに進んだ。又沿岸ぞい鉄道の発達により当社の沿岸航路は漸次廃止され、本州・樺太・千島の航路が充実し、本道とこれらとの間に海産物、農産物、日用雑貨を直接輸出する道が開 […]

  • 小樽にある小坂秀雄設計の建物 68

    日付:2016年12月25日 カテゴリー:大正5年(1916年)ころ

     10・11月号では貯金局出身の美術家として須田三代治、小竹義夫、一原有徳さんを紹介したが、ほかにも水彩の山本茂さん(故人)や、現在では中村訓敬さん、徳吉和男さんが油彩画で励んでいる。 小樽の貯金局は、大正5年小樽為替貯 […]

  • 市立小樽図書館創立100周年記念祭

    日付:2016年10月29日 カテゴリー:刺激

    こちらにも興味があったのですがやはり今日はこちら小樽で一番高い山海で鯉料理を養鯉場(向こうに見える建物は長橋小学校)昭和20年代現在埋め立ての話では灰色の部分が埋め立て地線路の右側が水天宮花園の辺りの土を削ってけずって花 […]

  • 小樽運河②「赤い運河」

    日付:2016年10月05日 カテゴリー:人

    えと文 藤森茂男 この絵は「小樽運河を守る会」をはじめたころ(一九七三年)のスケッチをもとにしている。 当時の運河には、まだ多くの艀(はしけ)や引き船が出入りしてた。・・・最盛時、石造倉庫百七十棟、艀六百隻、港湾労働者三 […]