カテゴリー:乾児 絆

  • ‶北の誉〟酒造に着手 野口吉次郎

    日付:2024年01月19日 カテゴリー:乾児 絆

    合同酒精の設立も 『いい気になるな』『我が気に任すな』『我が身に値打ちをつけるな』『他人の骨折りを盗むな』『損しても徳をとれ』…なき吉次郎の遺訓は、いまもなお『野口商店五訓』として、会社員に歌い上げられている。 吉次郎は […]

  • 育英事業に熱意 五代目 木村円吉

    日付:2024年01月18日 カテゴリー:乾児 絆

    商大の敷地も寄付 『勉強したい者にはいくらでもお金をだしてやる』というのが、この人の口ぐせだった。商家に生まれ学ぶ事の出来なかった円吉は、事業家として成功すると、家庭的に恵まれない生徒たちにポンと奨学資金を与えた。円吉の […]

  • ‶手宮鎮台の名声 二代目浜名甚五郎

    日付:2024年01月15日 カテゴリー:乾児 絆

    (浜名運送部の本拠だったこの建物はまだそのおもかげを残している)みごとな経営手腕 『侠客浜名甚五郎一代の侠名を小樽にうたわれる先代甚五郎氏は明治二十六年をもって白玉楼中の人となり、侠名なお万人の口にするところ。現代甚五郎 […]

  • 運送界の先覚者 二代目中谷宇吉

    日付:2024年01月14日 カテゴリー:乾児 絆

    侠気と純な実行力が身上 宇吉は明治二十年二十歳のとき来樽、養父の仕事(ハシケ仲仕業)を手伝った。身長が一・八㍍(六尺)もあり、からだが大きく義侠心に富んでいたので、彼には適した仕事だった。 同二十六年当時内務大臣だった井 […]

  • 苦学して独立 戸羽亨

    日付:2024年01月13日 カテゴリー:乾児 絆

    率先して 近代的な手法 亨は現北照高校で夜学しかなかった時代の第一回生。色内町に宏荘な店舗を設け小樽屈指の海陸物産商として有名であった。明治十年岩手県気仙沼小友村五ヵ村の戸長をしていた安五郎の二男として生まれた。しかし自 […]

  • 一厘の倹約で産 名取高三郎

    日付:2024年01月12日 カテゴリー:乾児 絆

    金物、鋼材で有数の問屋に 『人間若いときに働いて貯金をなすべし。年ごろになれば妻を迎え子供は生まる。妻方、親類の交際などのため費用多くなるゆえ、独身のうちに働いてカネを残せよ』これは高三郎の祖父がよくいっていたことだった […]

  • 船主同盟つくる~麻里英三

    日付:2024年01月09日 カテゴリー:乾児 絆

    克苦精励し地位を築く 『①商売女はいいが、しろうとに手を出してはいけない②無尽にはいってはならない③人に迷惑をかけるな…とオヤジは常日ごろいっていた。だから海難に会って商売に失敗すると、人に迷惑をかけない、金も借りないと […]

  • 忍耐、努力と誠実 三箇勝次郎

    日付:2023年11月30日 カテゴリー:乾児 絆

    商い自体が趣味のうち寿原食品と並んで本道を代表する食品問屋、株式会社三箇商店の社長。『努力の積み重ねが今日を築いたといっても過言ではありません。人との争いごとをきらい、遊びごとはいっさいせず、勤勉努力型。常に前向きの姿勢 […]

  • 世界に目を向け 森正則

    日付:2023年09月19日 カテゴリー:乾児 絆

    構想の大きな商売商う 正則は新しいセンスを商人だった。お茶、紙文房具類の卸ろ商として販路を道内、樺太に持っていた早川商店の支配人だった。。正則は、店舗を色内町に進出したさい小売業も兼ねることにした。当時座売りだった小売り […]

  • 鑄鉄工場を設立 七代目 清水孫四郎

    日付:2023年08月23日 カテゴリー:乾児 絆

    漁具政策で地歩築く 七代目孫四郎は心が暖かく、ヨミの深い人ハダの人だった。 安政五年新潟県西蒲原郡燕町字上町で金物相を営んでいた『上田屋』六代目孫四郎の長男として生まれた。清水家は代々燕町で、特産品の和釘(くぎ)を主体と […]