カテゴリー:乾児 絆

  • 三等車で折衝に 河原直孝

    日付:2024年02月06日 カテゴリー:乾児 絆

    市長時代 あくまで温厚な人 『河原はなんにでも納まる徳のある人間だった』と先輩の田辺新一はいう。 直孝の父が京都府立第一女学校の校長をしていたころ小樽選出代議士の寺田省帰が同校の先生だった。こんな関係で直孝は来樽、北海道 […]

  • 北洋漁業に着目 新谷専太郎

    日付:2024年02月05日 カテゴリー:乾児 絆

    日ソ貿易の促進を図る 専太郎は先代喜作の跡を継ぎ、漁網の製造と販売。ロープ商なども行なったが、さらに小樽市街自動車の専務、小樽取引所と北海製紙の監査役などにたずさわり活躍した。 さらに早くから北洋漁業と日露貿易にちゃくも […]

  • 終生‶三等〟を利用 初代 中村卯太郎

    日付:2024年02月04日 カテゴリー:乾児 絆

    本道初の劇場(宝栄座)建設 『運、鈍(鈍重)、根(根…この三つのことばが好きな人だった。口ぐせのように‶頭がよくなくても、根気よくまじめにやれば天は助けてくれる〟といっていた。酒飲まず、タバコも吸わない当時の材木商として […]

  • 外柔内剛の人 杉江仙次郎

    日付:2024年02月02日 カテゴリー:乾児 絆

    中央バスの前身を築く 『人の保証をしてはいけない。そうしたはめに追いこまれることもあろうが、そこはこらえて、たとえ兄弟、縁者でも保証はしないこと…』仙次郎は養子の猛=現中央バス専務、杉江商店社長=に店を譲るとき、こういっ […]

  • マイ・ペースで 稲葉林之助

    日付:2024年02月01日 カテゴリー:乾児 絆

    終生、手形を書かず 『おのれにきびしいひとだっただけに妻にとっては厳夫であり、私たち子供にとっても文字どおり厳父でした』…長男稲葉欽一が述懐する林之助は、これほどさように、人にたいしても、自分にも厳しかった。 頭の回転が […]

  • 包容力で頭角を 岡崎謙

    日付:2024年01月31日 カテゴリー:乾児 絆

    ソロバン度外視する趣味人 商人でありながら、ソロバンを度外視して終生生活を楽しんだ人間岡崎謙はチ密な頭脳の数理に明るい人だった。明治十年四月、新潟は佐渡にうぶ声を上げた。ミソ醸造のかたわらその販売に当たっていた父藤太郎と […]

  • 一升に十四、五銭 稲積豊次郎

    日付:2024年01月29日 カテゴリー:乾児 絆

    たしまえで米騒動防ぐ 豊次郎は人の困っているのを黙って見ていられない性分で、こうした人たちをみると大金を惜しげもなく投げ出した。 文久元年八月十五日富山県高岡市横田で稲積四郎兵衛の三男として生まれた。家は貧しかったが幼少 […]

  • 『誠』『和』を信条に 神野新平

    日付:2024年01月26日 カテゴリー:乾児 絆

    繊維業界の長老でいまなお活躍 新平は現在小樽繊維業界の最長老として小樽経済の一翼をになっている。 滋賀県甲良村で農業を営んでいた神野伝吉の四男として、明治十年一月二十七日弧々の声を上げた。新平は十六歳まで私塾にかようかた […]

  • 精力的な事業欲 秋野音次郎

    日付:2024年01月23日 カテゴリー:乾児 絆

    道内屈指の薬問屋築く オットセイのキモのカン詰をつくったのは、世界でもこの人が最初で最後ではなかろうか。明治三十八、九年ごろのことだが、小樽で食料品、雑貨、薬の店をだすかたわら、樺太真岡でカン詰工場を経営していた音次郎は […]

  • 沿岸貿易に力 倉内嘉蔵

    日付:2024年01月20日 カテゴリー:乾児 絆

    『小樽港三人の男』 ‶中期小樽政、財界の功労者〟として、いまなお語り草になっている嘉蔵は、元治元年春四月、佐渡は二見村の生まれ。回船問屋の長男として、この世にココの声を上げたが、豪商倉内仁吉の養子となり、明治二十二年、二 […]