カテゴリー:乾児 絆
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庶民の金融機関 土肥順太郎
日付:2024年04月02日 カテゴリー:乾児 絆
質屋の全道組織作る 昭和年代にはいって間もなく小樽質屋業組合長をしていた順太郎は、東京で開かれた全国質屋業大会に道代表として出席した。席上どういう内容の話をしたのかは知れないが『北海道にも大変な雄弁家がいるもんだ』という […]
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業界三位の実績 川合佐平
日付:2024年02月17日 カテゴリー:乾児 絆
戦後、出張販売で 戦後、対岸貿易が封鎖され、樺太への移出が途絶した商港小樽は斜陽のみちをたどったが、北海道林屋製茶もその例外ではなかった。『真岡、豊原両支店を失ったことは大きな痛手だ。しかし過ぎたことはしかたない。その販 […]
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日本の雑穀王 林松蔵
日付:2024年02月15日 カテゴリー:乾児 絆
第一次大戦当時 ロンドン相場を動かす 第一次世界大戦のころ『ロンドンの豆相場を動かした男』といわれた雑穀輸出商。小樽港に初めて外国船を誘致したのも松蔵の力が大きかった。 松蔵は若くして来道、当時有幌町にあった中村支店の専 […]
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本邦初の倉庫業 五代 西谷庄八
日付:2024年02月14日 カテゴリー:乾児 絆
事業家膚の豪傑 五代西谷庄八は回そう店として東洋一といわれたほど手広く商売をした人だった。深く物事を考えてそれから実行に移す…泣くまで待とうホトトギス型のいわば徳川家康的な性格の持ち主だった。当時庄八宅に行儀見習いとし […]
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‶三馬〟の基礎を築く 中村利三郎
日付:2024年02月13日 カテゴリー:乾児 絆
質素を旨に努力重ねる 利三郎の晩年は説教の好きな大久保彦左衛門みたいな人だった。ずけずけと遠慮なくものをいう。昔のサムライのような厳格な一面があった。利三郎の親類筋で二代目仁郎夫人となったコトは『一口でいうと質実剛健の人 […]
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日本のでん粉王 井上宇太郎
日付:2024年02月12日 カテゴリー:乾児 絆
海外と豆の直取り引き 『日本のでん粉王』とまで名声を博し、ロンドンの雑穀相場まで動かした快男児宇太郎も、やはり裸一貫からたたき上げた小樽商人のひとりだ。 明治八年、愛媛県生まれ、十六歳のとき大阪に出て乾物問屋にでっち奉公 […]
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企業(中小)の救い主 竹田助太郎
日付:2024年02月10日 カテゴリー:乾児 絆
奨学学資金制度生みの親『まがったことが大きらい。正直の上にバカのつくぐらいの人でした…』…いまはなき夫を語るカウ未亡人(六七)のことばを裏書きするように、助太郎の業績はいまなお市民の間に浸透している。新潟は直江市、自作農 […]
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汽船部を設立 初代 酒井正七
日付:2024年02月09日 カテゴリー:乾児 絆
有数の回漕業の地位 『他人に迷惑をかけない人間がまともな人間といえる』『人間として生を受けたからには人のためにならなければならない』と正七は常に口にしていた。 正七は新潟県柏崎市で米穀業を営んでいた松原城慶の二男として生 […]
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ガンコおやじ 畑貫治
日付:2024年02月08日 カテゴリー:乾児 絆
『北選米』売り出す 『まじめに生活しなきゃ世間の人にきらわれる」と口ぐせにいっていた貫治は、米穀業者やお客さんの間でガンコおやじとしてけむたがれていた。 明治十九年一月十九日石川県の坂井家でうぶ声を上げた。家があまり裕福 […]
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海運界の風雲児 二代目 塩田安蔵
日付:2024年02月07日 カテゴリー:乾児 絆
樺太航路に豪華船造る 現代風にいえば豪華客船とでもいおうか、昭和の初め安蔵は全財産をたたき売って千六百㌧の貨物船を買った。そして小樽―樺太間の貨客船に改造して就航させた。この船『永宝丸』といったが、客の間にすこぶる評判が […]
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日