カテゴリー:乾児 絆

  • 会津藩魂 高野源之助

    日付:2020年05月15日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道初の道会議員選挙の実子は明治三十四年八月十日である。府県会の魁となった東京府会より遅れること二十三年、思えば長かった時間遅れであった。当時の有権者数は僅か二六三五人。三十五の議席をめぐって六十九人が逐鹿戦を演じた […]

  • 道会の名物男寿原重太郎

    日付:2020年05月13日 カテゴリー:乾児 絆

     諷刺諧謔時に凄い啖呵もある。その数字を駆使して攻撃の手を押へ、必殺の言を吐いてゐる。斯んなの仲々いないのであるが、彼が演壇から罵倒しても反対は一向に平気だ。弥次るものさへないのである。肥満倭小それが額に眼鏡をあげて延棒 […]

  • ‶寿原財閥‶の始祖弥平司

    日付:2020年05月09日 カテゴリー:乾児 絆

      今日ではその言葉の持つイメージはいささか旧踏に属するが世にいう‶財閥〟という呼称の該当者を北海道に求めることになると、現実にはなくてもやはり小樽の寿原、板谷、函館の相馬の御三家あたりが挙げられるのではないだろうか。  […]

  • 野口喜一郎とその衛星群

    日付:2020年05月05日 カテゴリー:乾児 絆

     我国の酒造界の名門、北の誉の創始者野口吉次郎が不帰の人となったのは、昭和八年二月二十日である。 そのころの野口家と周辺の人や企業の状態を督見すると、嫡子の喜一郎は野口商店社長として采配をふるい、後に合同酒精の総帥となっ […]

  • 野口吉次郎とその衛星の群像 上

    日付:2020年05月04日 カテゴリー:乾児 絆

     日本における清酒酒造会社のベスト五を列挙すると、月桂冠を筆頭として大関、白鶴、白雪、そして北の誉がこれに続く。しかし、ここでいう北の誉は小樽の北の誉香蘭(社長野口誠一郎)、札幌北の誉(社長西尾長平)、旭川北の誉(社長岡 […]

  • 区長から代議士へ 金子元三郎(下)

    日付:2020年05月01日 カテゴリー:乾児 絆

     元三郎が初代の小樽区長(官送)になったのは明治三十三年一月、丁度三十才であるから論語調でいけばまさに三十に而立ッ-というところだ。この人生の句読点で、上昇気流に乗る港町の采配ぶりに収まったのはまさに男子として欣快の至り […]

  • 議席三段階・渡辺兵四郎

    日付:2020年04月29日 カテゴリー:乾児 絆

     第一代道議会議長は函館の船頭上りの平出喜三郎。彼は翌明治三十五年に政友会から国会を目ざして立起、札幌の元札幌農学校長であった森源三と、小樽小豆将軍高橋直治と共に当選した。 代って議長になったのは、後に小樽官有地払い下げ […]

  • 漁網の先駆・渡辺兵四郎(上)

    日付:2020年04月28日 カテゴリー:乾児 絆

     今手元にある色褪せた〈開道五十年記念拓殖功績旋彰記〉のページを繰ってみると、選ばれた百三十人のスターの中で小樽区では山田吉兵衛、船木忠郎、藤山要吉、渡辺兵四郎の四人が名を連ねている。 この四人は奇しくも、明治二十四年の […]

  • 二p(政治 新聞)の殿様 金子元三郎(上)

    日付:2020年04月24日 カテゴリー:乾児 絆

     透矢(すきや)越後という着物があった。今ではすっかり頽れてしまったが明治のころには通人、伊達者が好んで羽織って妍を競っていた。小樽商人の越後衆中一貫してケチの宿志を貫いた板谷宮吉を木綿にみたてたならば、金子元三郎はさし […]

  • 梟商 山県勇三郎

    日付:2020年04月21日 カテゴリー:乾児 絆

     石川啄木が小樽日報の記者であったことは人々に膾炙しているが、その新聞社は金主の山県勇三郎が債鬼の追求から逃れるためにカモフラージュとしてつくりあげたことは余り知られていない。思えば啄木こそいい災難だったがこの勇三郎は樽 […]