カテゴリー:乾児 絆
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小樽新聞の礎 上田重良
日付:2020年05月20日 カテゴリー:乾児 絆
昭和十七年十月三十一日。この日道内の各日刊新聞は一本化し北海道新聞の旗の下に結集した。そして‶紙の弾丸〟化の至上命令に応えることになったのである。 一六七二五号を以てその歴史に終止符を刻んだ小樽新聞は同日の終刊の辞で〈 […]
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室蘭の樽僑 板谷順助
日付:2020年05月16日 カテゴリー:乾児 絆
北海道の海運界の双璧であった板谷宮吉と栗林五朔は共に新潟県人である。宮吉が出郷したのは若冠十四才の時。松前福山を踏台にして小樽でささやかながら暖簾を陽げたのは明治十五年、時に二十七才であった。 そのころ五朔は何処で何を […]
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会津藩魂 高野源之助
日付:2020年05月15日 カテゴリー:乾児 絆
北海道初の道会議員選挙の実子は明治三十四年八月十日である。府県会の魁となった東京府会より遅れること二十三年、思えば長かった時間遅れであった。当時の有権者数は僅か二六三五人。三十五の議席をめぐって六十九人が逐鹿戦を演じた […]
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道会の名物男寿原重太郎
日付:2020年05月13日 カテゴリー:乾児 絆
諷刺諧謔時に凄い啖呵もある。その数字を駆使して攻撃の手を押へ、必殺の言を吐いてゐる。斯んなの仲々いないのであるが、彼が演壇から罵倒しても反対は一向に平気だ。弥次るものさへないのである。肥満倭小それが額に眼鏡をあげて延棒 […]
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‶寿原財閥‶の始祖弥平司
日付:2020年05月09日 カテゴリー:乾児 絆
今日ではその言葉の持つイメージはいささか旧踏に属するが世にいう‶財閥〟という呼称の該当者を北海道に求めることになると、現実にはなくてもやはり小樽の寿原、板谷、函館の相馬の御三家あたりが挙げられるのではないだろうか。 […]
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野口喜一郎とその衛星群
日付:2020年05月05日 カテゴリー:乾児 絆
我国の酒造界の名門、北の誉の創始者野口吉次郎が不帰の人となったのは、昭和八年二月二十日である。 そのころの野口家と周辺の人や企業の状態を督見すると、嫡子の喜一郎は野口商店社長として采配をふるい、後に合同酒精の総帥となっ […]
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野口吉次郎とその衛星の群像 上
日付:2020年05月04日 カテゴリー:乾児 絆
日本における清酒酒造会社のベスト五を列挙すると、月桂冠を筆頭として大関、白鶴、白雪、そして北の誉がこれに続く。しかし、ここでいう北の誉は小樽の北の誉香蘭(社長野口誠一郎)、札幌北の誉(社長西尾長平)、旭川北の誉(社長岡 […]
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区長から代議士へ 金子元三郎(下)
日付:2020年05月01日 カテゴリー:乾児 絆
元三郎が初代の小樽区長(官送)になったのは明治三十三年一月、丁度三十才であるから論語調でいけばまさに三十に而立ッ-というところだ。この人生の句読点で、上昇気流に乗る港町の采配ぶりに収まったのはまさに男子として欣快の至り […]
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議席三段階・渡辺兵四郎
日付:2020年04月29日 カテゴリー:乾児 絆
第一代道議会議長は函館の船頭上りの平出喜三郎。彼は翌明治三十五年に政友会から国会を目ざして立起、札幌の元札幌農学校長であった森源三と、小樽小豆将軍高橋直治と共に当選した。 代って議長になったのは、後に小樽官有地払い下げ […]
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漁網の先駆・渡辺兵四郎(上)
日付:2020年04月28日 カテゴリー:乾児 絆
今手元にある色褪せた〈開道五十年記念拓殖功績旋彰記〉のページを繰ってみると、選ばれた百三十人のスターの中で小樽区では山田吉兵衛、船木忠郎、藤山要吉、渡辺兵四郎の四人が名を連ねている。 この四人は奇しくも、明治二十四年の […]

そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
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営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日