カテゴリー:乾児 絆

  • 海運と倉庫 山本厚三

    日付:2020年06月05日 カテゴリー:乾児 絆

     昭和二十四年の暮から翌年にかけて、二人の政治家が相次いで世を去った。板垣順助は二十四年十二月二十日七十三才、山本厚三は二十五年一月八日六十九才で、僅か十九日より隔てていない。この符節を合わせたような死は、二人の政治家が […]

  • 水戸の志士道銀頭取 添田弼

    日付:2020年06月03日 カテゴリー:乾児 絆

     この道をゆけば、右は色内町へ出る角で北海道拓殖銀行、左は堺町の角で三菱銀行支店があり、その五階には小樽商工会議所がある。向こう角の右には小樽郵便局の低い二階建の古色蒼然たる玄関があり、左角に白亜の現代ふうな第一銀行小樽 […]

  • 回漕と植樹と和歌 大竹作右衛門

    日付:2020年05月30日 カテゴリー:乾児 絆

     小樽と短歌といえば、私達は〈原始林〉を創った戸塚新太郎や〈新懇〉の織田観螢、そして並木凡平達の名前を想起するに違いない。ところがこれ等のスターの座を整理して小樽短歌史の名のもとに鳥瞰してみると、豊饒な文藻の水源はどうし […]

  • ‶不在地主〟のモデル 磯野進

    日付:2020年05月27日 カテゴリー:乾児 絆

     小樽の豪商達は本業の基礎が安定すると、未だに荒蕉の様相を呈していた未墾の大地に向って突撃を開始した。この種の事業の投資や拡張には同業者の激越な競走がない。しかも北海道の開拓を国家の急務とする当局は彼等に対しては協力的で […]

  • ゼネストのチャンピオン 浜名甚五郎

    日付:2020年05月26日 カテゴリー:乾児 絆

     小樽の数多の艀業者のなかに浜名甚五郎と称する異色人物がいた。小樽は大正末期から昭和初期にかけて、左翼労働運動のメッカであったが、昭和二年六月の港湾争議はその規模においては種々の斗争の極付であったとしてよい。この時の中心 […]

  • 事業の鬼 寺田省帰

    日付:2020年05月22日 カテゴリー:乾児 絆

     明治の小樽の電気企業の系列は小樽電燈舎(明二七)―小樽電燈合資会社(明四〇)―小樽電気株式会社(明四四)ということになる。 日露戦争を契機に急速に膨張した日本の産業資本は、動力用電気の需要増大を訴え、それに併い電力業は […]

  • 小樽新聞の礎 上田重良

    日付:2020年05月20日 カテゴリー:乾児 絆

     昭和十七年十月三十一日。この日道内の各日刊新聞は一本化し北海道新聞の旗の下に結集した。そして‶紙の弾丸〟化の至上命令に応えることになったのである。 一六七二五号を以てその歴史に終止符を刻んだ小樽新聞は同日の終刊の辞で〈 […]

  • 室蘭の樽僑 板谷順助

    日付:2020年05月16日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道の海運界の双璧であった板谷宮吉と栗林五朔は共に新潟県人である。宮吉が出郷したのは若冠十四才の時。松前福山を踏台にして小樽でささやかながら暖簾を陽げたのは明治十五年、時に二十七才であった。 そのころ五朔は何処で何を […]

  • 会津藩魂 高野源之助

    日付:2020年05月15日 カテゴリー:乾児 絆

     北海道初の道会議員選挙の実子は明治三十四年八月十日である。府県会の魁となった東京府会より遅れること二十三年、思えば長かった時間遅れであった。当時の有権者数は僅か二六三五人。三十五の議席をめぐって六十九人が逐鹿戦を演じた […]

  • 道会の名物男寿原重太郎

    日付:2020年05月13日 カテゴリー:乾児 絆

     諷刺諧謔時に凄い啖呵もある。その数字を駆使して攻撃の手を押へ、必殺の言を吐いてゐる。斯んなの仲々いないのであるが、彼が演壇から罵倒しても反対は一向に平気だ。弥次るものさへないのである。肥満倭小それが額に眼鏡をあげて延棒 […]