カテゴリー:乾児 絆
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一升に十四、五銭 稲積豊次郎
日付:2024年01月29日 カテゴリー:乾児 絆
たしまえで米騒動防ぐ 豊次郎は人の困っているのを黙って見ていられない性分で、こうした人たちをみると大金を惜しげもなく投げ出した。 文久元年八月十五日富山県高岡市横田で稲積四郎兵衛の三男として生まれた。家は貧しかったが幼少 […]
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『誠』『和』を信条に 神野新平
日付:2024年01月26日 カテゴリー:乾児 絆
繊維業界の長老でいまなお活躍 新平は現在小樽繊維業界の最長老として小樽経済の一翼をになっている。 滋賀県甲良村で農業を営んでいた神野伝吉の四男として、明治十年一月二十七日弧々の声を上げた。新平は十六歳まで私塾にかようかた […]
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精力的な事業欲 秋野音次郎
日付:2024年01月23日 カテゴリー:乾児 絆
道内屈指の薬問屋築く オットセイのキモのカン詰をつくったのは、世界でもこの人が最初で最後ではなかろうか。明治三十八、九年ごろのことだが、小樽で食料品、雑貨、薬の店をだすかたわら、樺太真岡でカン詰工場を経営していた音次郎は […]
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沿岸貿易に力 倉内嘉蔵
日付:2024年01月20日 カテゴリー:乾児 絆
『小樽港三人の男』 ‶中期小樽政、財界の功労者〟として、いまなお語り草になっている嘉蔵は、元治元年春四月、佐渡は二見村の生まれ。回船問屋の長男として、この世にココの声を上げたが、豪商倉内仁吉の養子となり、明治二十二年、二 […]
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‶北の誉〟酒造に着手 野口吉次郎
日付:2024年01月19日 カテゴリー:乾児 絆
合同酒精の設立も 『いい気になるな』『我が気に任すな』『我が身に値打ちをつけるな』『他人の骨折りを盗むな』『損しても徳をとれ』…なき吉次郎の遺訓は、いまもなお『野口商店五訓』として、会社員に歌い上げられている。 吉次郎は […]
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育英事業に熱意 五代目 木村円吉
日付:2024年01月18日 カテゴリー:乾児 絆
商大の敷地も寄付 『勉強したい者にはいくらでもお金をだしてやる』というのが、この人の口ぐせだった。商家に生まれ学ぶ事の出来なかった円吉は、事業家として成功すると、家庭的に恵まれない生徒たちにポンと奨学資金を与えた。円吉の […]
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‶手宮鎮台の名声 二代目浜名甚五郎
日付:2024年01月15日 カテゴリー:乾児 絆
(浜名運送部の本拠だったこの建物はまだそのおもかげを残している)みごとな経営手腕 『侠客浜名甚五郎一代の侠名を小樽にうたわれる先代甚五郎氏は明治二十六年をもって白玉楼中の人となり、侠名なお万人の口にするところ。現代甚五郎 […]
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運送界の先覚者 二代目中谷宇吉
日付:2024年01月14日 カテゴリー:乾児 絆
侠気と純な実行力が身上 宇吉は明治二十年二十歳のとき来樽、養父の仕事(ハシケ仲仕業)を手伝った。身長が一・八㍍(六尺)もあり、からだが大きく義侠心に富んでいたので、彼には適した仕事だった。 同二十六年当時内務大臣だった井 […]
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苦学して独立 戸羽亨
日付:2024年01月13日 カテゴリー:乾児 絆
率先して 近代的な手法 亨は現北照高校で夜学しかなかった時代の第一回生。色内町に宏荘な店舗を設け小樽屈指の海陸物産商として有名であった。明治十年岩手県気仙沼小友村五ヵ村の戸長をしていた安五郎の二男として生まれた。しかし自 […]
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一厘の倹約で産 名取高三郎
日付:2024年01月12日 カテゴリー:乾児 絆
金物、鋼材で有数の問屋に 『人間若いときに働いて貯金をなすべし。年ごろになれば妻を迎え子供は生まる。妻方、親類の交際などのため費用多くなるゆえ、独身のうちに働いてカネを残せよ』これは高三郎の祖父がよくいっていたことだった […]

そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日