文学の中の小樽 丹羽文雄ほか 「暁闇など」
2015年04月27日
水天宮境内から見下ろした勝納ふ頭とフェリー岸壁
世にいう“オタルナイ騒動”は慶應四年(一八六八年)四月、浪人、博徒が御用所の所蔵金を略奪する目的で、五、六百人の民衆を駆りたてて押し入った事件を指している。首謀者四名は捕えられ、箱館その他を引き回しの上、オタルナイ勝納川下に獄門さらし首の刑に処せられた。
丹羽文雄の小説「暁闇」は、この事件に興味を抱いた作家の梶が、地元の歴史研究家の永田と、函館、札幌を回った後に、小樽にやってくるという設定である。
「ゆく朝、梶たちは堺国民学校のそばを通り、水天宮に登った。境内には樹木のうえつけや、土提作りに男女の人夫が働いていた。水天宮は小樽市のほどよい所にある。程よい高さの山である。(中略)『恰度あの辺が穂足内御用所跡だが』信香町附近の見当であった。(中略)現在は次々に海岸が埋立てられて、築港機関庫や、鉄道省繁船岸壁が視界をふさぎ、石炭の山、起重機が当時の歴史と交代していた。」
ウケモチノ神、イザナギ、イザナミ両神をまつっている水天宮神社があることから水天宮山と呼ばれているこの小丘には、日露戦争の際、樺太の国境画定の経度測定の起点となった礎石があり、稲荷神社などもまつられている。
「君恋し」「出船の港」などの作者として知られている時雨音羽が、明治末期の小樽を回想した文章がある。
「私はよくこの街のなかほどにある水天宮へ出かけた。曽つては啄木も雨情も、ここから深く静かな北の海を見たであろう。この水天宮山は、まつられた社殿や、コマ犬の上を向いた顔には、それほどのみりょくはないが、ここから眺める小樽の街々には、哀愁と港のもつ明暗のコントラストがあって、いつも飽きなかった。」(「小樽の町よ」から)
昨秋、市内に二つ目の啄木歌碑がこの山に誕生した。「悲しきは 小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」
(小樽文学館・木ノ内洋二)
砂浜ばかり見ていたけど、ふと顔を上げると。
そうだ、今日が初寄港なんだ
クリスタル・シンフォニー~51,044t
水天宮は
今朝、入港した客船は中央ふ頭へ接岸したんだ→第三ふ頭でした
1時間ほどいましたが
3,40人の方が来ていました
外国からの方がほとんど。水天宮は小樽の観光スポットになっているようです。
そして、
次の目的地、コルサコフへ
そば会席 小笠原
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