再び手宮から
2014年11月29日
15日(土)に続き今日29日(土)手宮市場で
そば会席小笠原 出店させていただきました。
大なべも持ち込みました
『手宮市場の皆さんの温かい気持ち、お客さんへ出す水を用意していただきました。深底お玉をかしてくださったりと、新しい店を盛り上げようとする気持ちがひしひしと伝わってきた二日間でした。やってみて良かったーと感じています。』
「初めて手宮に来ました。」遠路、かけそばを食べに来てくれたあなた。うれしかったです。帰りには、
十間坂からの眺めをみましたか?
手宮公園からの眺望は?
桜陽高校の所からの眺めは?
もしまだなら、また来てください。
「皆さん、是非、日本の手宮を観に来てください。」~日本史で忘れてはいけない地名(8月28日)
、、、手宮は船がよく停泊するところであり、北海道の鉄道の発祥地でもあります。当時の人々は憧憬の念をもってやってきました。そして、山あいの狭い土地に住むようになりました。狭いのは土地ばかりでなく住家も長屋の一軒で狭かったのですが、隣近所の人達がみな人情豊かだったのでそこから離れられなくなってしまいました。何十年も住みつくとそこには連帯感が生まれます。それが人々を土着させてしまいました。
ところで、狭い土地が飽和状態になりますと外部から人が入らなくなります。手宮はまさにそのような状態でここ三十年ぐらい前から続いております。おそらくこれからも続くでしょう。外部から人が入らないということは刺激がないということであり、人々の考え、行動、友人関係・・・等が変化しないということになります。このようなことから手宮は昔の小樽の風俗(生活のさまざまなならわし)・建物等が残っています。最近はテレビや他の情報機関が発達して多少の変化は見られますが、他と比較しますと「あまり変化がない」と云っても過言ではありません。
したがって手宮は「小樽っ子」の特色である「思いやり」とか「口の悪さ」とか「おせっかい」とか「なりふりかまわず働く」という勤労意欲、等 小樽の「暖かみ」がまだまだ残っていて、そういったものに誇りを感じているようにも思われます。
このように考えてきますと手宮は昔も今も「小樽の原点」として息づいているように思うのです。
~手宮の話 堀 耕 より
能島通りからのぞむ十間坂
手宮市場前 たくさんの買い物客が
~岡田明彦写真集 記憶の小樽(1972年(S47)~1983年(S58)までの写真)より
小樽の原点・手宮にて
12月の「激安市」、引き続き出店します。
6日(土) 摩周産そば
13日(土) 11:00~14:00
20日(土) かけそば 600円
27日(土) 限定20食
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日