ただ 行きたくて

2014年08月26日

DVC00034.JPG小樽に来たばかりの頃、時々おじゃました高野商店

 

 『・・・小樽人は二つの顔を持っています。一つは生き馬の目を抜くといわれる商人の顔と、もう一つは義理や人情を大切にする、所謂「小樽っ子」の顔です。小樽商人は鉄道の敷設・日清日露の戦争と相俟って、商圏を全道から樺太・千島や外国にまで広め「小樽商人」の名をほしいままにしました。これらの商人は色内・住吉に住んでいました。

 一方、手宮方面には主として漁師や浜稼ぎが多く住みつくようになりました。それは港の手宮側は風の関係とアンカーを下ろした時の泥の具合がよいので多くの船が停泊します。船がいるということは仕事があるということであり、距離が近いためそこに住みつくようになりました。

 山あいの狭い土地に肩を寄せ合いながらすみつくようになりました。』

(手宮の話  堀 耕 )より

 今日も手宮に行きました。

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DVC00054.JPG厩岸壁から

 

DVC00053.JPG先日と逆のルート

DVC00052.JPG登っていくと

DVC00051.JPG厩神社~きっと、広井博士も伊藤技師も青木技師も、工事の安全を祈って

DVC00050.JPGを通り抜けると

DVC00049.JPG日本庭園にギンヤンマが

DVC00047.JPG階段のその先は

DVC00046.JPG手宮公園

「手宮公園内に青木技師の石碑あるそうですがどこでしょうか?」

 

DVC00044.JPG「ここはジェイアールバスの運転手さんが見事な運転を見せてくれた場所。青木技師の石碑は、ここだったんですね。」

手宮公園には、ほかに二か所石碑があります。

DVC00036.JPG十間坂を目指して

途中には

DVC00035.JPGの前で稲を育てているんですね

 

小路へ

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小路へ

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DVC00027.JPGドラマでは「越後屋 おぬしも 悪よのう。」ですが、ここの越後やさんは 悪ではないとおもいます

 そして、着いたのが

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DVC00023.JPGこれ~時を知らせてくれていたので、ず~っと汽車に関係する建物だと思っていましたが、火の見櫓だったんですね

 

DVC00022.JPG向こうの上から来たんだね

 (手宮の話  つづき)

『おろしがけの店~北浜海岸には石垣の倉庫が並んで建っておりますが、その壁に二坪ぐらいの小屋がへばりついています。

 壁面からおろしがけをして、あり合わせのトタンで囲っています。小屋の中にはテーブルがあり、酒、ビール、おにぎり、ソバ、牛乳、ジュース等を売っております。

 そこの女将は、漁師や浜で働く人々を相手に何十年も商売しております。朝二時ころから十時頃までですが、結構、繁盛しているようでした。お客さんの中には街で飲んでいましたが、そこはカンバンなので愛しい人を連れてここに足を向けるひともいるそうです。

 小さな店の裸電球の下で人生の哀感をコモゴモ語り合い、相槌をうち横道に逸れそうな若者には励ましを与えてやる女将は人生の灯台守なのかもしれません。・・・。」