高島漁港納涼花火大会 と

2014年08月18日

昨日、午後8時から9時10分頃まで約4000発打ち上げられる27回目の高島漁港の花火大会がありました。

 

CIMG51898:15 舞鶴からのフェリーも入港

 

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全長200メートルの「ナイヤガラ」(その設置費用は一m一万円。地元の方々の協力で三分の一の費用で、それでも大変です。)や「高島龍神伝説水中花火」は見れませんけど、打ち上げ花火の数々は店から真正面に見ることができます。

最後の巨大な船のように輝いた花火。近くで見たらどのように見えたのでしょう。

 

と、

CIMG5237りの所在を見つけようと、高島1丁目で下車

左側はすべて崖、まったくわからず。(もしかして、赤岩に?)

 

CIMG5238今晩の目的地へ

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CIMG5240階段へずっとつながっている提灯

CIMG5241高島稲荷神社

CIMG5242その上の広場では

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小樽市指定無形民俗文化財 「高島越後盆踊り」

高島地区は古くからの漁港であり、本州からの移住や往来が盛んに行われていました。本州からやって来た人々は、出身地からさまざまな風俗・習慣を持ち込みましたが、新潟県北蒲原郡地方出身者によって伝えられた盂蘭盆の行事(盆踊り)が越後盆踊りとして広まったといわれています。とくに、明治以降、漁場の開発と漁業(特ににしん漁)の進展に伴い、新潟県北蒲原郡の各村から、高島地区へ多くの移住者がやって来たことにより、盆踊りの行事はますます盛んになりました。

 高島越後盆踊りは、元禄年間(1688~1703)に新潟地方で成立した踊り歌までその起源を遡ることができるといわれています。踊りと囃子子は二つの形態があり、これらを交互に連続して行うのが特徴です。歌は労働課を中心に、およそ190の歌詞が採録されています。

 現在、他地域に伝えられていた盆踊りのほとんどは統合されたり消滅していますが、高島では近代以前にみられた盆踊りの形態が残されており、地域に密着した年中行事として今も地域の人々により保存されています。

 

高島は、江差追分に「忍路(おしょろ)高島およびもないが、せめて歌棄(うたすつ)まで」とうたわれた古くからの漁場です。

明治2年~高島郡がおかれ

明治35年~高島村

大正11年~高島町

昭和15年~小樽市と合併

今日18日(月)から20日(水)まで3日間、行われます。

 

公園内の石碑には

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。太鼓たたきと 笛吹き可愛い 中の踊り子 なお可愛い

。盆の十三日 二度あるならば 親の墓所へ 二度参る

。忍路高島 一度はおいで 越後おどりの 艶姿

 

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CIMG5260まさに妖艶な踊

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唄と踊りは休憩をはさむことなく続けらます。

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