小樽公園、花園公園?
2022年02月13日
「 小樽公園はイギリス軍が来た時、没収され住宅地になりそうでした。」と、以前ガイドさんが。
イギリス?植民地?いつのこと?と頭の隅にありました。
『明治13年(1881年)英国艦隊が小樽港に入港。その頃公園付近は人の住んでいない丘でした。イギリスは、その土地一帯を領事館建設と合わせてロシアの南下政策に備えるための用地として、借地を申し入れてきたそうです。その時、黒田清隆は植民地につながるからと、イギリスに貸すことに同意できなかったそうです。清隆は、欧米を視察して、都市形成における公園の必要性を知っており、欧米には「公園不可侵権」があり、「同地域は公園の予定地なり。」と借地を拒絶できました。
そして、その後、公園が誕生。』
その資料がないか調べてみました。ありました。
ただ、私としては、こちらの資料にもっと惹かれました。
明治33年(1900年)に開設された小樽公園(花園公園)は、将来の市街化を見越し、公園を都市の中心的な空間とする明確な目的を持って計画された最も初期の例であり、日本の公園創世期の特徴を今に伝えている。
設計は日本初の職業的公園設計家、長岡安平(1842-1925)である。そのレイアウトは公共施設を園路で結ぶという、現在の公園設計に共通したものである。・・・・・・・・。
また小樽港に隣接する水天宮神社とは、一直線で結ばれ、この両者が呈するヴィスタ(展望、眺望)は、イタリアの歴史都市にみられるインテグラツィオーネ・シエニカ(景観の統合)を形成し、都市景観に調和をもたらしている。
『水天宮から小樽公園方面を眺めた時に感じた美しさは、ルネッサンス期・イタリアの眺望を目的とした景観の概念をモデルにし、造られたものだったんです。』
『ルネッサンス~中世の絶対的権威の象徴である神の束縛から人間を解放する文化運動』
昭和32年(1957年)発行のこの本では 『花園公園』
公園の敷地内には、
小樽公園グランド・総合体育館・裁判所
緑ヶ丘球場
顕誠塔
遊具広場
公園の風景は
銅像が
千登勢温泉付近(以前、探しました)
原生林?
公園への道
緑町方面から
花園方面から
そして、うれしいのは、この景色‼
小樽公園から望む水天宮♪
~2014.8.14~
そば会席 小笠原
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