沖縄「歴史の道」を行く~普天間宮へ①
2025年04月04日
♦歴代国王の普天間参詣道
旧道の面影を今にとどめる「当山の石畳道」と戦禍に消えた「宜野湾街道並松」
全長5,872m樹齢110年を経たリュウキュウマツが堂々の並木を作っていたといわれる「宜野湾並松」(ジノーンナンマチ)。宜野湾市史編集室提供。
「本並松(ナンマチ)は、本県最古最良な林相を有する優雅なる琉球松並木にして」とうたわれ、「其の優雅なる林相は直ちに日光の杉並木を連想せしめられる」と称された宜野湾の並松も激しい戦禍の中に消えてしまった。歴代国王の普天間参詣を見届けたであろう普天間宮への道も、「ウマドゥゲ—ラシ」と呼ばれた「当山の石畳道」にかろうじてその面影をとどめているだけである。

〇仲間のウマチモーより当山の石畳道

浦添仲間集落よのウマチモーより北へ延びる普天間宮への道はもともと集落と集落を結ぶ生活道であったのだろう。それを一六四四年以降、国王の普天間宮参詣が年ごとに王府の公事となったことに加えて、一六七一年に宜野湾間切りが新設されたことによって、参詣道としてさらには宿道としてさらに整備されたものと考えられる。

仲間集落のウマチモーで中頭方西海道に別れを告げた普天間宮への道は、浦添ようどれの所在する丘陵を越えて、その先の、ワイトゥイ(切り通し)となっていた「イシジョウビラ」(石門坂)を抜け

地元で「ウマドゥゲーラシ」とよばれていた当山集落の急峻な坂道(「当山の石畳」)へとつづいていた。

宿道時代の面影を唯一のよすがとなっている「当山の石畳道」は、牧港川の中流域(地元では「メーラーガ—」という)をはさんで全長二〇〇m、幅四.五mにわたり、

谷間をはさみ込むようにS字型に石が敷きつめられている。石畳道は、石の消耗が激しく、なめらかになるほど利用されており、歴史の長さを感じさせてくれるところだが、石畳が敷設された年代はつまびやかにされていない。

また、メーガーラに架かる橋は「当山橋」といい、仲間から当山に通じる石畳道に架設された単拱橋である。

しかし

石畳道を

終えると、一切ありません 手がかりが…

そこで

当山公民館で、出会った方に 尋ねました。

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