世界遺産 国指定特別名勝 識名園

2024年07月29日

識名園概要

 識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は、琉球王家最大の別荘で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。18世紀の終わり頃つくられ、1800年に尚温王冊封のために訪れた正使趙文楷(せいしちょうぶんかい)、副使李鼎元(ふくしりていげん)を招いています。

 王家の別荘は、17世紀の後半、首里の崎山村(現在の首里崎山町)に御茶屋御殿(ウチャヤウドン)がつくられました。首里城の東に位置したので御茶屋御殿は「東苑(とうえん)」とも呼ばれ、識名園は首里城の南にあるので「南苑(なんえん)」ともよばれました。

 識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)」になっています。

 「廻遊式庭園」は、近世に日本の諸大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園の池に浮かぶ島には、、中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られます。

 識名園はかつて春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗が美しい花を咲かせ、「常夏」の沖縄にあって四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな気配りがなされていました。

 指定面積は約41997㎡(約12726坪)で、そのうち御殿(ウドゥン)をはじめとするすべての建物の面積は。合計643㎡(約195坪)となっています。1941年(昭和16)に国の名勝に指定されましたが、去る大戦によって壊滅的な破壊を受けました。1975年(昭和50)から整備がすすめられ、約20年の歳月と約8億円にも上る費用を費やして、ようやく今日のような姿を取り戻しました。1976年(昭和51)1月30日、再び国の名勝の指定を受け、2000年(平成12)3月30日には、特別名勝に指定され、さらに同年12月2日、ユネスコの世界遺産に登録されました。

育徳泉(いくとくせん)

 育徳泉は清冽な水をたたえ、池の水源の一つにもなっています。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」にして、巧みな曲線が優しい美しさを感じさせてくれます。また、井戸口は右手にもあります。

 井戸口の上には、泉をたたえた二つの碑が建てられています。向かって右は、1800年(嘉慶5)、尚温王の冊封正使趙文楷(さっぽうせいしちょうぶんかい)が題した「育徳泉碑」です。向かって左の碑は、1838年(道光18)、尚育王の冊封正使林鴻年(りんこうねん)が題した「甘體延齢碑(かんたいえんれいひ)」です。もとの碑は、戦災を受けて下部が破損したため、1980年(昭和55)に拓本をもとにして復元したものです。

御殿(ウドゥン)

 御殿は赤瓦屋根の木造建築で、往時の上流階級のみに許された格式あるつくりですが、雨端(あまはじ)などに民家風の趣を取り入れています。明治末期から大正時代のはじめごろ、増改築がなされました。

 総面積は525㎡(約159坪)で、冊封使を迎えた一番座、それに連なる二番座、三番座、台所、茶の間、前の一番座、前の二番座など、15もの部屋がありました。

壊滅的な破壊を知らせてくれます

『縁側でのんびり

この景色を眺めてきました』

石橋

 池の中に配された島に、大小二つの石橋が架けられています。いずれも、橋の中央が高くなったアーチ橋で、中国風のデザインです。

六角堂

 池に浮かぶ島につくられた六角形のあずまやです。屋根の形や黒く色付けているところに、中国的な趣を感じさせます。島へは一つ石(琉球石灰岩)でつくられたアーチ橋が架けられています。

『園内をゆっく

散策してみました

六角堂と御殿』