家庭暖房を確保 横山準治

2024年06月22日

日支事変を契機に 奔走し統制会社を作る

 『横山が一番力を入れたのが、戦前は道石炭統制会社であり、戦後は道議だった。いわゆる人の上に立って物事を行なう人だったから石炭統制会社時代には彼が中心となって活躍したのだろう』と大橋幸弥小樽石炭石油社長はいう。

 昭和十三年、道は石炭販売業者を札幌に招き、『日支事変は相当長くなる見込み、石炭の欠乏は必然であるから、取り扱い業者は企業合同をもって石炭の節約にあたってほしい』と要望があった。この当時道石炭商組合連合会長だった準治はさっそく対策委員会を設けた。

 しかし、当時本道には石炭特約店が百四十五店、それに下請け、小売店を含めると二千店にもなり、これを統合することは容易なことではなかった。そのうえ業者の多くは資力を持ち、政治的にも経済的にも有力者が多く、時代背景には自由経済主義が叫ばれていたときだった。また広い道内が全国に先がけて、この断行にあたることにも大きな障害があったわけだ。だが準治は『国家の要望にこたえるべきだ。この際私心を棄て、大衆的な見地から本道の業者は全員一致して団結しよう』と説き、経費の節約と配給の円滑化を呼びかけて日夜奔走した結果、十四年一月小樽市で石石炭特約店商業組合を設立、準治は専務に互選された。 

 このとき準治はあいさつに立ち『十数年にわたり歴史ある鉱王直属の各自の営業を廃し、本道家庭用石炭の円滑なる配給と経営の合理化から統合、幾多の難関を突破し、かろうじて配給を終わりましたが、全国的石炭不足の影響と他の燃料の供給不足などのため、配給の第一線に立たれた各位のご苦心は想像以上で、心よりご同情申し上げます。』と会社結成を心から喜んだ。しかし、戦時体制に突入するときとあって、家庭用暖房炭の不足がめだちだした『今後は年度計画を確立、関係市町村長と普通配給ができる体制が必要だ』と、大いにハッパをかけるとともに家庭用暖房の確保にあたった功績は、いまでも高く評価されている。

 こんなリードオフマンだったから推選されて道議にもなって活躍した。人がらは申し分ない温厚篤実な好紳士で、よく道庁にでかけ選挙区のため奔走していた。

小樽経済百年の百人㉙

北海タイムス社編

昭和40年8月3日