決めました

2024年06月21日

わたしが撮った写真

一昨日のブログに載せた写真

本日、本来の作品に

大変失礼しました

 

絵ができるまでの制作過程を見せていただきました。

水槽の中を見ながら描いていると思っていましたが…

『自分が納得するものを突き詰める姿勢が絵に現れ、それに対して何か感じるのかな…。』

 

美唄市は、1890(明治23)年、石狩国空知郡沼貝村として開村しました。沼貝は「沼貝が多く棲むところ」を意味するアイヌ語「ピパ・オ・イ」に由来します。石狩平野のほぼ中央に位置し、国道12号線と函館本線が市内を南北に走っています。国道12号線を境に、西部は石狩川沿いの石狩平野で、河跡湖(かせきこ)が点在するほか、泥炭と呼ばれる寒冷地特有の湿地帯が広がっていました。石狩川沿いの宮島沼はマガンの寄留地として知られ、2002年にラムサール条約登録湿地になりました。泥炭地ではかんがい事業や土地改良事業が行われ、今では空知を代表する国内有数の穀物地帯となっています。東部は丘陵・山岳地帯で、かつては石狩炭田(空知炭田)の一部で、豊富な石炭を産出する道内有数の産炭地でした。沼貝村の開拓は、1891(明治24)年以降4年間で400戸の屯田兵(騎兵・砲兵・工兵)が入植し本格的に始まりました。また、明治政府の大土地払下げにより大規模農場が開設され農地の開墾が進みました。現在、美唄市は、農業を基幹とする地域産業の発展を図りながら、住民が健やかに、安心して暮らせるような「美しき唄のまち」を目指しています(市の木がポプラ、花がツツジ、鳥がマガン)

かつて炭鉱で栄えた美唄(びばい)市には、地元の人たちが愛してやまないソウルフードがいくつもあります。その一つが「美唄焼き鳥」で、炭鉱マンのスタミナ源として愛されてきました。最大の特徴は、レバー、ハツ、砂肝、玉子や皮などの鶏のさまざまな部位を1本の竹串に刺して焼く「モツ串」にあります。そのボリューム感とジューシーで深い味わいは、美唄が炭鉱で栄えていた頃から親しまれてきたふるさとの味です。この独特のスタイルは、1953年に美唄市の「三船」という店で誕生し、市内いくつもの店に受け継がれています。

美唄トリビア

~囚人が繋いだ開拓の道~

月形、峰延、三笠を繋ぐ現在の道道月形峰延線はかつて樺戸道路と呼ばれ、樺戸集治監(月形)、空知集治監(三笠)の囚人によって開削されました。その目的は空知・樺戸集治監を結び、双方の囚人を有効に使役することでした。工事は二つに分けて行われ、峰延と月形間は多くの沼地が点在する低湿地帯を貫き、三笠と峰延間は達布山との山腹をめぐり渓谷を渡るなど、二つのコースは地形の上でいずれも困難な条件を備えていました。

市来地と峰延間は1886年(明治19年)に樺戸集治監の囚人たちで着工し翌年に完成、峰延と月形間は空知集治監の囚人たちによって着工し同年に完成しました。このような道路の整備によって北海道内陸部に屯田兵が入植できるようになり、開拓の基礎を樺戸・空知集治監の囚人が担った功績はとても大きいものでした。

 

年表

そして

地図作り

の次は…

漠然としていましたが

『自分の納得することを…。と。決めました…。ありがとうございました。』