伊祖城跡(いそじょうせき)

2024年05月24日

ゆいレールで

てだこ前田駅へ

前回は迷いに迷って牧港へ行ってしまいました

浦添城の前の碑から

普天満参詣道

中頭方西街道から分かれて普天満宮へ通じる道で、宜野湾間切が新設された17世紀後半に整備されたと考えられます。毎年、国王はこの道を通って普天満宮に参詣しました。

牧港川の流れる谷間に長さ200mにわたって最初の石畳道がのこっています。このあたりの道は馬が転ぶほど勾配が急なことから「馬転ばし」、「馬ドゥーケーラン」と呼ばれていました。川に築かれた橋は大正・昭和時代に改築されました。

そして、ついに

伊祖城跡(伊祖グスク)は、琉球国初期に栄えた英祖王父祖代々の居城で、地域では「イージュグスク」などと呼ばれています。

丘陵の北東部はところどころに切石積みや野面積みの石積み城壁の遺構が残っています。

発掘調査が行われていないため、詳しいことはわかっていませんが、

グスク時代の土器、中国製陶磁器などが発見されています。

国指定名勝 アマミクヌムイ 伊祖グスク

 「アマミク」とは、琉球関係神話に登場する国づくりの神で「アマミキヨ」などとも呼ばれます。

 首里王府の資料(『おもろさうし』『中山世鑑』など)には天から降り立ったアマミクが各地に御嶽を造り、琉球国土のはじまりとなったと伝わります。

 「アマミクヌムイ」とはこれらの御嶽の総称で、南城市の久高フボー御嶽、斎場御嶽、那覇市の弁之御嶽のほか、伊祖グスクもその一つとして登場し、現在も沖縄特有の地形、植生からなる聖地の様相をとどめています。

寒緋桜

ガジュマル

残波岬方面

近くに

大盛をいただきました

浦添御殿の墓(うらそえうどぅんのはか)

 浦添御殿は、第二尚氏第十四代国王・尚穆王・しょうぼくおう(在位1752~1794)の二男・浦添王子朝央を元祖とする家系で、近世琉球を代表する政治家や文化人を輩出した由緒ある家系でした。市内でも最大級のこの亀甲墓(かめこうはか)は18世紀末に造られたと推定され、巧みな石積みや墓正面に使われた巨大な石が浦添御殿の栄華を今に伝えています。

ただ、ここから首里まで向かう道

今回もあっさり迷って、浦添美術館の方へ行ってしまいました

あちこちで道を尋ね、急坂を上り、ようやく何度か歩いた旧道へ…。

ニシヌフィラと呼ばれる急坂をおり

黒砂糖工場・直売所に寄り

フェーヌフィラと呼ばれる急坂を上り

何とか首里近くまでたどり着きました。

『小樽で急坂には慣れていたつもりでしたが、恐るべし、浦添市&那覇市の坂道の多さ。もし、雪が降ったら、とてつもなくなく大変なことでしょう。』と実感してしまいました。

 

話は変わって、本日

柳の舞10枚 干しました

海を眺めていると

ヨットが3艘と

1艘

けっこう波が

高いのでちょっと心配しました