ぶらり浦添

2024年04月26日

浦添市とは

 浦添市は沖縄本島南側に位置し、市域の東側は丘陵地で西側に向かって緩やかに傾斜し海岸へ続いています。面積は約19㎢、人口は11万5千人(2023年3月)を数えます。

 浦添では約6600年前の土器が見つかっており、このころまでには浦添で人が暮らしていたことがわかっています。沖縄本島が山北、中山、山南の三つの勢力に分かれていた13~14世紀には中山の都があったといわれ、「津々浦々を襲う(支配する)」が浦襲【うらおそい】となり、浦添【うらそえ】の語源とされています。

浦添市と日本遺産

 2019年5月20日、沖縄県(那覇市・浦添市)のストーリー 琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」 が文化庁の日本遺産威認定されました。

 浦添は琉球王国を築いたとされる歴史ある地域で、浦添城跡など多くの歴史遺産があります。また、浦添市美術館では王国時代の琉球漆器、国立劇場おきなわでは琉球舞踏や組踊が上演され、その普及・継承・保存・研究活動が行われています。浦添市ではさまざまな有形無形の文化財や歴史と芸術に出会えます。

 日本遺産のストーリーを構成する文化財は、浦添市11件、那覇市14件、共通5件です。(2023年3月現在)

 浦添市内の日本遺産関係文化財の所在地については、前ページの「文化財MAP」とその関連ページをご覧いただき、お出かけ下さい。

…。

琉球交易港図屏風 19世紀 浦添市美術館 市指定文化財

2019年10月開業したてだこ浦西駅

ようやく、看板を見つけました

国指定史跡 浦添城跡

13世紀末に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられています。14世紀後半から15世紀前半ころには大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には第二尚氏第3代の尚真王の長男である尚維衡が住み、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。しかし1609年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいました。1945年の沖縄戦ではグスクがある給料は前田高地(米軍にはハクソー・リッジ)と呼ばれ日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などが失われてしまいました。

普天間参詣道

中頭方西海岸からわかれて普天間宮へ通じる道で、宜野湾間切が新設された17世紀後半に整備されたと考えられます。毎年、国王はこの道を通って普天間宮に参詣しました。

牧港川の流れる谷間に長さ200mにわたって幅3mの石畳が残っています。このあたりの道は馬が転ぶほど勾配が急なことから「馬転ばし」、「馬ドゥ—ケーラシ」と呼ばれていました。

川に架かる橋は大正・昭和時代に改築されました。

ここから迷いに迷って…

見ると、なんと宜野湾市の標識も

有名沖縄そば店に開店前から行列を作って並んでいた方々に

『牧港に行くにはどの道を…?』

 

てくてく歩き

牧港漁港はすぐ近くという、ここでも…

足首が悲鳴を上げたので、

牧港ブルーシール本店北川バス停からバスに乗り帰ってきました。

目指したのは、伊祖城跡

今日歩いたのは宜野湾市方面へ

『また次回に!』