ガンコおやじ 畑貫治
2024年02月08日
『北選米』売り出す
『まじめに生活しなきゃ世間の人にきらわれる」と口ぐせにいっていた貫治は、米穀業者やお客さんの間でガンコおやじとしてけむたがれていた。
明治十九年一月十九日石川県の坂井家でうぶ声を上げた。家があまり裕福でなかったため、本道で一旗上げようと志をたて、明治三十五年知人の紹介でわずか十六歳の年、来道、函館市内で荒物、米穀の『加藤商店』でっち奉公として勤めた。
その後貫治は生来のきまじめさから一生懸命、店のために働いたが、函館はあまり活気がないのと風のたよりで、小樽の景気がすごくよいことを知り二年後店を飛び出し来樽手宮町で米穀業を営む『畑商店』に飛び込み、わらじをぬいだ。
貫治は畑商店にはいってからは以前にもまして働き、陰日なたなくいやな仕事でも機敏に動いたため、主人の畑久の目にとまり娘カネの養子となった。
大正五年いままでの畑商店では規模が小さ過ぎると『畑貫治合名会社』を設立社長におさまった。
貫治は社の拡大をはかるため、米の仕入れはとくに吟味を重ね自慢してお客に食べてもらえ〇〇〇として、マークを『北選米』で売り出した。この『北選米』の評判がよく、道内各地から注文が殺到。一躍有名になるとともに大金を手にすることができ、市内では押しも押されぬ米穀業者にのし上った。
この間市議会議員、小樽米穀小売商業組合理事長をつとめ、市発展のため中央との折衝にあたりねばり強さと根性でいつも朗報を持ち帰った。
貫治は元来まじめ一方だったが、ものすごい短気で、使用人や家族のものにたいして、よく雷を落した。その半面人情もろく使用人や業者間で、困りごとがおきた場合、親身になって相談にのり、金など必要なときには大金を惜しげもなく投げ出すといった侠人膚の持ち主だった。
貫治が短気だったエピソードについて、畑貫治合名会社時代に使われた橋口官一(六三)は『まじめでよく働いた人です。私が奉公して何年目の正月だったでしょうか。お客に頼まれてついたモチのできがよくなかったため、客が主人のところに苦情をいいにいったところ、答弁に困った主人がいきなり私にそのモチをぶっつけた。私がやったわけでもなし腹が立ち荷物をまとめて暇をもらおうとしていたところ、主人がきて『官一ゆるしておくれ、私としてはああするより仕方なかった。と心からあやまってくれたので心が動かされたものです。使用人思いのほんとうによい主人でした…』と語っている。
小樽経済百年の百人㉓
北海タイムス社編
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