『誠』『和』を信条に 神野新平
2024年01月26日
繊維業界の長老でいまなお活躍
新平は現在小樽繊維業界の最長老として小樽経済の一翼をになっている。
滋賀県甲良村で農業を営んでいた神野伝吉の四男として、明治十年一月二十七日弧々の声を上げた。新平は十六歳まで私塾にかようかたわら家業に従事していたが、一旗揚げようと当時函館で繊維の持ち下り(衣類行商)をしていたおじの小杉五郎左衛門(小杉産業初代社長)を頼って十六歳のとき渡道、繊維業界に一歩を踏み出した。いらい五年間小杉の元で飯たきをしながらでっち奉公、修行に励んだ。
明治二十七年、日清戦争のぼっ発とともに箱館にも不景気の波が押し寄せた。新平はさばききれない衣類を肩に地方を回ったがたまたま来樽して港に出入りする商船や活気に満ちあふれるふんいきにふれ、独立して商売をして行くには小樽いがいにないと痛感、同三十一年単身来樽、現在の住初町二七に衣類の神野商店を開いた。
当時道内の開発が盛んに行なわれていたときでもあり、道庁が剣淵村に移住して開拓者のためにふとん三千組を納入することをいち早く知った。その後道庁に日参の末、仕事はとったものの裸一貫で店を出しただけに仕入する資金がなく、小杉のもとに融通にいったところであっさり断わられた。
勝気の性分の新平は引くに引けず思案の末、郷里の母親スエのもとへと走り事情を話したところ、スエは気持ちよく田畑の地所権の書類を新平に与えた。地所権を担保に銀行から八千円を借り、これを資金にふとん三千組を期限内に納入、大金を手にすることができた。
それいらい商売も上昇線をたどった。これと前後して兄馬場儀太郎、若村仙次郎(いずれも実兄)が経営に参加。明治四十二年合名会社神野商店と規模も拡大。新平は三十三歳で当時小樽に十五軒あった繊維業者の理事長に就任。
これまでのしきたりとなっていたとくい先からの運賃先払いと運賃負担を業者負担に切り替え、とくい先からの注文倍増をはかり、業界の発展に尽くしてきた。とくに新平は業者間の団結に重点を置き、連絡を密にする一方、倒産寸前の浮き身にあっている仲間があった場合、おしげもなく資金を融通、再建に協力‶繊維問屋のマチ小樽〟を築きあげる原動力となった。
新平の信条は『誠』『和』『絶対うそをいわない』『時間厳守』で、八十九歳の高齢にもかかわらず、神野商店の会長としていまも午前十時半から午後四時半まで出社。一途に小樽を愛しながら孫のような社員とともに毎日を元気に送っている。
北海タイムス
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