仏教で店員指導 村住三右衛門
2023年02月06日
毎年、利益の平等配分も
三右衛門は弘化余年三月十一日石川県能美郡御幸村で農業を営んで居た村住八平の二男として生まれた。父親八平は貧農にいやけをさし三右衛門が少年のころ、農業をきらって家を出たまま行え不明となった。その後、風のたよりで小樽に住み着いていることを知った三右衛門は二十歳のとき父捜しに来樽した。ようやく捜し当てたところ八平はすでに他家へ養子にはいっており三右衛門は路頭に迷った。
このとき三右衛門も貧農に見切りをつけていた、小樽の活気あふれるふんいきに魅せられ、固く大成を心に誓い、小樽永住を決心を。明治四年五月高島郡手宮村に貧しいながらも居を構えた。
それからの三右衛門はニシンの大漁でにぎわう漁村を相手にみそ、しょうゆ、ぞうり、わらじを肩に行商を始めた。それからというものは資金難と販路の開拓でどん底の生活を送ったが努力が実を結び明治六年手
三右衛門にとってはこれまでが苦難の道で、それ以来信用と蓄財を生かし、商品を豊富にとりそろえ、薄利多売を重点に廉価を主体としていっそう店の繁栄にいそしんだ。
三右衛門は大正三年稲穂町に運動具店を開いて本道の運動界に貢献するかたわら、販路を上川、宗谷、十勝、北見、樺太四島など道外まで商いを広め、小樽経済の発展に尽くしていった。
この間、三右衛門は手宮区長、手宮郵便局長、小樽小間物商組合長、区会商業会議所議員、日本赤十字社修身社員など五十有余年にわたって公職や業界に尽した。
とくに三右衛門は信仰が厚く、店員を導くために仏教の教理を取り入れたほか、毎朝七時には機械のようにきまって量徳寺におまいりに辿った。また定員の待遇にも気をつけ、年一回損益決算をして利益などは平等に分配するといった家族的な扱いをし、店員も十年以上勤務する人があとをたたなかったという心あたたまる話が伝えられている。
三右衛門は五十余年にわたって官民の役職につとめてきたが、昭和四年一月十三日朝八十三歳で死去。当時発行していた『北海道小間物化粧品商報』は、三右衛門の資を次のように報じている。『昭和もここに四歳の新春を迎えたる一月十三日の朝まだき六時、とつじょとして村住三右衛門の死を伝えらる。だれがこの悲しみを予期し得よう。翁を知る者皆頭をたれて、その慈愛に満ちた面影を思い浮かべ、今さらのごとく翁の徳をしのびて喪心翁の死をいたみたり』とこの報道をみても三右衛門の人柄がさっしられるようだ。
北海タイムス
小樽経済
百年の百人⑫
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今年は、挑戦しようかと 思っています
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