緻密で思慮深い 寿原外吉
2022年12月19日
何事にも前進する若さ
小樽商工会議所会頭を十年間もつづけている本道の代表的経済人で札幌の広瀬会頭と並び称せられている。
『ち(緻)密に物事を考えとにかく思慮深い人である。一見むずかし屋に見え、よく人の誤解を受けるが、つきあってみると人なつっこいところがある。人物的にはスケールが大きくまた視野の広い人でもある。たとえば札樽バイパス問題で安達市長と対立したかのように伝えられた問題でも〝気にするな黙殺しろ〟とただニヤニヤ笑っているだけ。ちっとも気にかけてない。ガラス金物卸しの寿原商店社長だが、この商売にとらわれずに弾力的な考えを持っている。何事にも前進するという若さがあり、このなかにも道理にかなった進め方をしていく。会議所内でも講師の近藤は決してしない。また派閥をなくし、話し合いで決める方針をいつもとっている…』外吉とはこんな男=よく知る人たちの外吉評である。
『真心を持て』『勢威を尽せ』『親切心がなければダメだ』これは外吉が店のものに常日ごろいっていることば。これを裏がきするように外吉の率いる寿原商店は道内有数の金物問屋として絶大の信用を得ている。資本金千五十万円、従業員六十人、年間七億円の商いをして、業界に確固たる地位を築いている。
外吉は明治三十四年十二月二日、富山県で酒造業をしていた酒井仁十郎の四男としてうぶ声を上げた。大正八年高岡商業四年生のとき同郷の寿原弥平次に見込まれて養子に入った。当時小樽高商は五番以内なら無試験入学できる時代だった。それで同高商に入学できる自信があったわけだが卒業する間ぎわに五番以内からはずれ、高商はあきらめた。そこでいったのが早大予科これも一年半にして養父弥平次が中風に倒れ、同予科を中退して小樽にときに二十歳の暮れ。
寿原商店にはいって仕事をしているうち、ふとスキーをしてカゼを引き、これがもとで一年半療養生活をつづけたが、この闘病時代が外吉の人生観を不屈なものにした。このときよく遊んだが、人間的にも大きく練れた時代だった。
当時店はせともの商売をしていたが、これをもっともうかるものをといろいろ考えた末、金物業を始めることにした。『親の商売をかえてしまうのはけしからん』といわれたが、ガンとして受け付けず、十年かかってまったく金物商売に切り替えた。
北海タイムス
小樽経済
百年の百人㊿
寿原弥平司
↓
寿原弥平次(長男)→寿原外吉(養子・小樽商工会議所会頭)
寿原猪之吉(弥平次の妹婿)→英太郎(長男・小樽市長)→九郎(娘婿)
寿原重太郎(三男)→村山美喜生(長女の婿)
ですね。
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