小樽画壇にも影響を与えた画家・工藤三郎 98

2019年12月26日

 小樽で初めて油絵の展覧会が開催されたのは、1907年(明治40年)であった。東京美術学校生で小樽にゆかりのある工藤三郎、長谷川昇、小寺健吉の3人で、これが美術をめざす本市の人たちに大きな影響を与えた。次いで3年後、小樽で開催された北海道汽車博覧会における油絵展にも中央画家に加えて、この3人の作品が出展されて注目を浴びた。

   ▷   ◁

 今回はこの3人の中から工藤三郎を取り上げてみたい。

 工藤三郎は1888年(明治21年)小樽生まれ。量徳小学校、上京し東京京北中学校、東京美術学校へと進んでいる。入学した年に万鉄五郎らと40年社を組織、同年本道羊蹄画会結成に参加。明治42年同じく本道のエルム画会を結成し、毎年札幌で展覧会を開催した。明治45年文展(現在の日展)に入選、以後大正7年まで入選を続けた。大正8年中国に遊学、そして大正8年から12年までフランスに留学。その間、サロン・ドートン又、サロン・ナショナル・デ・ポザールなどに出品し入選している。

 大正13年帰国し、大阪三越で滞欧記念展を開催。小樽に戻ってからは本市の太地社創立会員。大正14年道展第1回展には特別会員として出品している。

 昭和45年、道立美術館が発行した「北海道美術史」には、小樽のみならず全道の画壇に工藤三郎が大きく貢献したことが記されている。そして『素朴で親しみやすい人柄が後進の信望をあつめ、また、その詩情湛えた写実の画風を後進に伝えるなど、北海道に密着した先輩画家であった』と述べている。

 昭和6年北海道美術家連盟結成にも参加したが、翌7年に亡くなられたことは惜しまれてならない。

 工藤三郎の作品は独自の世界をきっちり構築している。みごとな筆致や色彩に作者の感情が込められていると思うのである。

 工藤三郎は、昭和4年小樽の太地社会報第1号に次のような一文を寄せている。『実生活の刻々の物こそ、實に貴い久遠の道程があります。たとえ小さくとも光った生活、そして生くべくこの現実生活を愛して意義あらしめたいと思ひます』

 残された作品を観て、その言葉が思い出される。工藤三郎は本当の芸術家であった。

A 大正時代フランス留学中の工藤三郎

B 工藤三郎の作品「ランチ」油絵8号p

C

D

E

C・D・E 工藤三郎のデッサン

 

小樽市史軟解 4 岩坂桂二

月刊ラブおたる

HISTORY PLAZA 98