明治・大正の小樽を見る(その10) 91

2019年11月21日

 小樽市史編さん室の棚田誠哉さんは、本年、日本港湾協会発行の業界誌に「小樽港・歴史と文化」という貴重な一文を発表している。その中で北前船とその回漕店組織について述べているが、その一部を紹介したい。

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 『小樽港を、いやわが小樽を語るとき、北前船の歴史を他において語ることはできない。」

 本州、特に関西と北陸と蝦夷地を結ぶ北前航路は、遠く鎌倉・室町時代に起り、松前藩の蝦夷地支配の確立によって完成した。四国、関西、北陸からのコメ、塩、縄、むしろ、綿布、酒などの物産を北海道に運び、北海道からはコンブ、鰊粕などを持ち帰った…。

 この交易で登り荷の利益は、よほど悪いときでも下り荷(蝦夷地に向う積荷)の二、三倍、品物の質のよいときは十倍以上になった。「一航海、壱千両」といわれたところである…。

 豊漁を続けてきた鰊をはじめとする漁業を生産のすべてとしていた小樽の産業形態は、回漕店組織の発達によって飛躍的に多面化したが、付随して当時わが国での最も高い水準の文化を享受したのである…。』

 昭和32年、小樽郷土史研究家であった越崎宗一さんも「北前船考」という本を発行しているが、北前船が港に入ってくる時の船問屋の様子などを述べている。

 本号では、北前船の船問屋であった小林回漕店、西谷回漕店、塩田回漕店の写真を紹介するが、このほか、岡田回漕店など大きな店があった。

 写真Dは、塩田回漕店の別邸(入舟2-8)で、現在は「夢二亭」の料亭として使われているので、その家屋の中をみることができるが、当時の隆盛が偲ばれる。

A 小樽区南浜にあった合名会社小林回漕店

B 各航路に定期船など数十隻の汽船を配していた西谷回漕店

C 小樽区南浜にあった合資会社塩田回漕店の本店と倉庫部の支店

D 塩田回漕店の別邸であった現在の「夢二亭」(入舟2丁目)

そして、

この坂を

登って

次の目的地 

この木 と決めているんです

銀杏を採るなら

今年は二回 ありがとうございました

小樽市史軟解 4 岩坂桂二

月刊ラブおたる

HISTORY PLAZA 91