小樽ではめずらしい被災のツメ跡 80

2019年11月20日

A 廃墟さながらの妙見市場

 平成7年は、年の始めから阪神大震災による空前の被害があり、また、夏季には九州をはじめ各地で集中豪雨による洪水被害があった。この点小樽は地震や洪水による被害は、めずらしいほど少なく恵まれた土地と言える。

 そんな中で、台風による大きな被害を受けた1962年(昭和37年)の被災について振り返ってみたい。

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 正確には、昭和37年8月2日夕刻から4日朝にかけて、全道を襲った台風9号による被災である。この台風による降水量は267ミリ、小樽測候所が1943年(昭和18年)に開設以来の記録であった。

 死者8名、建物全壊33戸、半壊90戸、床上浸水760戸、床下浸水1980戸、非住家77戸、学校地土砂崩れ12校、河川の損壊25ヶ所、橋の損壊29ヶ所、農地の流出・埋没45ヘクタール、畑の倒状188ヘクタール、そのほか多くの被害があり、輸送路を奪われて地場経済にも深刻な被害を与えたのである。

 この大きな被災に対し、市民や自衛隊の協力によって支援活動が続けられ復旧が進められた。広報おたるには『嵐は木を強くするという言葉どおりに、このたびの災いを福となるようにできれば、せめてもの慰めである』という一文があった(広報おたる、小樽市史第9巻参照)。

 写真A・B・C・D・Eは、この台風による被災の生々しい状況であるが、あとで実際に現場を見た小樽市民は、改めて自然の猛威にびっくりしたものである。

 特に、写真Cの朝里川温泉文治橋の下に小型乗用車が転落し、死者が出た所を見ると胸が痛む。

 阪神大震災を機に、今まで以上に、防災科学の研究が続けられているが、災害は私たちに多くの教訓を残している。

 この教訓をこれからの生活に生かしていきたいものである。

B 市内の河川に流出した家屋

C 朝里川にかかる文治橋の被害

D 洪水は道路を流れた(於古発川の踏切り付近)

E 半壊した工場と住宅(天神町恩根内橋付近)

~小樽市史軟解 4 岩坂桂二

月刊ラブおたる

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