乾児そして絆

2020年04月08日

8頁から

「海陽亭の興り」

 海陽亭の始まりは安政初期、松井某が魁陽亭の名で始めたのが興り、とする説があるが定かではない。この松井というのは初代越中屋旅館主人の乾児で元官船通済丸の賄い方をしていた男とされている。(乾児・・・その昔よそ者が新天地で定住して職を求めるには、先住者の中の顔役的人間に挨拶をして許しを乞う必要があった。この掟を守らなければ、定住して職に付くことができなかったから、よそ物は身元引き受け人である親分に対しては、特別の敬意を払い、又親分はこの子分に対しては責任を負った。この子分のことを乾児と呼んだ)

 …。

『小樽の歴史において の

乾児そして絆

を 探検してみたいと思います。』