鳴いて日暮れる張碓の浜~㉚

2019年01月06日

啄木と凡平

 火をしたふ虫のごとくにともし火の

 明るき家にかよい慣れにき

 あわれかの国のはてにて酒のみき

 かなしみの滓をすするがごとくに

 こほりたるインキの壜を火にかざし

 涙ながれぬともしびの下に

 啄木はいい。貧乏青年の青春日記である。

 啄木は明治四十年に津軽の海を渡ってきたが函館大火がなければ、そのまま居ついたかもしれない。つぎの札幌と小樽はほんのちょっとしかいない。歌を沢山のこした釧路は居心地良く四カ月。天伐の漂泊人だ。

 明治の釧路はどういうものか甚だ文学くさく、のちに小樽新聞の社会部長をやり北海道の口語歌の口火をきった並木凡平も釧路毎日新聞の社会部記者であり地元の文学少女の投稿の選者もやっている。啄木の歌は当時では新しいといわれたが、口語歌はもっと新しいはずなのに後世にのこる凡平の 

 廃船のマストにきょうも浜がらす

  鳴いて日暮れる張碓の浜

 は啄木より格調が万葉調に近い。

 凡平が篠原清風の名で歌を選別していたころ、女文字の手紙がよく舞込む。ファンレター以上の女心が筆あとにみえる。

 その一人で紅バラと称する人妻が一番熱心で凡平の心をゆする。一度デイトと思ったものの当時二十三歳の凡平、下の方はイキリたつが全身ヒゼンだらけでウミが出、布団もねまきも臭気フンプン。そこへ特高があいつは赤ではないかというので、とうとう社でも放遂してしまった。

 歌碑よりカネだ

 それで流れ流れて十いくつかの新聞をわたり歩くのだが、小樽新聞は長く社会部長を十なん燃つとめた。

 さいきん元小樽新聞記者、日刊スポーツ北海道社長をさいごにブンヤの足を洗った森川勇作が昔の樽新仲間に働きかけ、思い出集「ああ樽新」という本を出し、その中に凡平がトツジョ樽新をやめさせられたげんいんについては不明のままだ。

 やめた凡平は手内職のようなことで浪々細々とくらすのだが、そのころの歌には樽新幹部をうらむようなことがよまれている。いまとなっては真相を知る人はすくないだろう。

 歌の人貧苦に死んで歌碑が建つ

 じゃ川柳にもならないか

 量徳小学校

 小樽新聞の軟石の建物は札幌の開拓の村に移されて時折り樽新の会のお年よりがあつまって回顧談をやっているが、やがてそれらの人たちもいなくなることは戦友会や寮歌祭のごとくであろう。

 樽新は札幌の政治雑誌「北海民灯」が原流で、明治二十六年のことだという。

二十七年小樽に移って小樽新聞となり渡辺兵四郎や高橋直治が後援した。そのうちに札幌の北海タイムスが政友会にかたむいていくので樽新は対抗上、民政党色を打ち出し編集長の上田重良が社長になった。

 これで北海道は北タイと樽新の二大新聞がきそう新聞時代に入るが、樽新のお家芸が社内騒動で、上田亡きあと上田未亡人、矢上以久三郎、平野文安、嘉納虎太郎といった首脳部がからみ合う。これを民政党の二代目の地崎宇三郎がまとめる一方、読売の正力松太郎と組んで黒字経営にもっていったところで新聞の戦時統合で道新なる合併会社に吸収されてしまう。写真の量徳小学校からは道新はじめ小樽のジャーナリストが輩出しているが、住吉貞之進という十一代目の校長は有名だった。孫にペギー葉山がいる。

 私が知っている量徳はグランドが上下二つあって校舎で坂になった渡り廊下でつないでいた。昭和四年だったか開校五十年の提灯行列がにぎやかに展開されたのであった。赤くさく童話のうまい清水川先生、バンカラで生徒の弁当のおかずにハシをつっこむ牛島先生、やさしい坂田女先生などはもはやこの世の人ではあるまい。

明治十一年に完成した白ペンキ塗り洋風のハイカラな量徳小学校の全景

近代的建築に生まれ変わった現在の量徳小学校

(写真は「北海道の100年」より)

 

 弊誌十号より長年に渡って連載していただいた筆者 奥田二郎氏が、突然、一月に逝去されました。

 その間、彼、独特の筆法は沢山の読者に愛され、恐らくやむなく終了するに至って惜しむ声が聞かれることでしょう。

 思い起こせば、「坂の街走馬灯」から「小樽市史軟解」まで小樽歴史にまつわる多くのエピソードを掲載して下さり、それは正に、小樽の歴史を紐解く走馬灯でありました。

 残念ながら彼の連載は、志し半ばで終了いたしましたが、今まで連載した中に小樽への思い入れが凝縮していたに違いありません。

 長い間、執筆ありがとうございました。というお礼の言葉が天国に届いたでしょうか。

   編集長

 

~HISTORY PLAZA㉚

小樽市史軟解

奥田二郎

筆者略歴

 小樽市出身・早大中退・昭和12年三段跳北海道記録(世界ランク21位)、騎兵七連隊として北シナ戦線で九死に一生。昭和15年小樽新聞入社、同18年北海道新聞社会部、日経札幌支局、北海日日札幌支社次長など。30年から文筆一本の生活。

 主なる著書 えぞ金豪伝、道政風雲録、北海道米軍太平記、二人の民選知事、夜の道政、スハラ商事百年史、事件史北海道議会、北海道人国記、小説町村金吾、農文協物語、企業ドキュメント北海道、旧札幌村百年史、道政今昔物語、道政三国史、岩田徳治伝その他33冊北海タイムス連載1568回(北海道人国記、企業ドキュメント、風雪をこえて、チャレンジ北海道)、「日刊サッポロ」に戦後人物史連載中(丸2年)

(月刊ラブおたる39号~68号連載)より