織姫

2018年09月26日

によると

明治28年の稲穂小学校の開校後まもなくの頃に、現在の小樽警察署付近から水天宮を遠望した貴重な写真。第一火防線(浅草通り)、函樽鉄道(JR函館線)はまだないが、

手宮線が写真中央やや左手に見える。水天宮社殿左手に見えるのは高橋直治別邸で、堺小学校が開校するのは10年後のこととなる。

左手にある煙突のある急勾配の三角屋根は小樽教会(現シオン教会、明治29年献堂)で、現在の洲和家具店の山手に位置していた。(奥山家所蔵)

本校屋上から水天宮山を望む(平成9年7月)

 

(この写真だけは開校90年記念誌より)

大正十一年、全小樽連合運動会が廃止されると、色内、稲穂女子とで三校連合運動会を開催する。

 この運動会に参加した卒業生は、当時の思い出を次のように語っている。

 

楽しかりき三校聯合運動会

 吉田 徹郎(昭和三年卒業)

 大正から昭和にかけての頃昭和、稲穂男子尋常高等小学校(通称いなだん 栗原校長)と稲穂女子尋常高等小学校(いなじょ 校長名覚えず)と色内尋常高等小学校(古谷校長)との三校の合同大運動会が恒例行事であって、一口に三校聯合運動会と呼称していた。

 長く暗い冬籠りが明けて小樽公園の花見が終わるや、追いかけて花園グランドで盛大に挙行され、他校に見られぬ小樽の名物のようになっていた。

 朝早く、挙行合図の花火がドドーン高空に鳴ると、三校の生徒は夫々揃いの運動帽や運動服に身を固め、勇躍して各自の学校に集合。隊伍を整えるや校旗とラッパ隊(女子高は楽隊)を先頭に、三校とも第一大通りを行進して公園通り正門から入り、グランドの特設デコレーションゲートを潜るのであった。

 代表校長の励ましのご挨拶があって、三校が順次繰り出す盛りだくさんのゲームが楽隊付きで引きも切らず繰り広げられる。大勢の家族たちの声援や市民の見物客に取り巻かれ、ラムネやアイスクリン(クリームではない)などの出店の賑わう中、三校自慢の校技は、稲男の紅白対抗の『棒倒し』、色内の白鉢巻き袴姿の『白虎隊』、稲女の紅白リボンの『織姫』であった。前者の突撃ラッパ、後二者のマスゲームの二曲はいまだに耳朶を離れず、この歳になってもはっきりと思いだすのである。

 これらをフィナーレとして現地で解散となるのだが、家族に引き取られた私共は、市街に出てご馳走を共にするのがまた大きな楽しみであった。

 因に、秋には校庭で単独の運動会が行われた。その後、稲男と稲女は併合したと聞くが、運動会のかつての校技など、今ではどんな風になっているのだろうか

 

 

その『織姫』を考案した(と思われる)方が

住んでいた場所が、

このあたり

こんな景色や

こんな景色を眺めていたことでしょう

直ぐ近くには

小畑邸

田上義也設計のお宅

 

『その方の娘さんたちは』

この道を通って

眺めながら

昆布加工 当時もありましたか?

お米はこちらの米屋さんで買っていましたか?

 

この場所にあった稲穂女子尋常高等小学校に通っていたことでしょう

 

大正6年 『小樽』 棟方虎夫 著

の地図に

ありました