鉄道記念館

2018年08月23日

昔はむね続き 奥は扇状の機関庫

八十年の風雪に耐え当時をしのばせる鉄道記念館

 手宮公園のがけ下にある二棟(むね)の赤レンガ。

 いまはすぐ横を走る手宮線の蒸気機関車の煙と車のホコリにまみれて建て物自体てススだらけになっているが、建てられた当時は本道鉄道発祥の地としてふさわしい豪壮な建て物だった。

 この鉄道記念館が完成したのは明治十七年設計したのはクロフォードで開拓使たちの手によって建てられたものだが、当時のアメリカの建築技術を知るうえにも貴重な資料とされている。赤レンガ造りで面積は二六九・一平方㍍。転車台の線路が一本の所から入口が狭く奥に行くにしたがって広い扇状形なのが特徴。現在は二棟になっているが、昔は一号館と二号館が棟続きであったといわれる。

 当時は手宮―幌内間で活躍した義経号、しづか号、弁慶号をはじめ比羅夫号、信弘号などの機関庫として建てられた。その後めざましい鉄道技術の発達により蒸気機関車も大型化し、収容しきれなくなったのと、老築化のため昭和にはいってから北海道鉄道記念館となり現在は国鉄が所有、小樽市で管理している。

 いま館内には『しずか号』をはじめ明治天皇もお乗りになったといわれる『い一号客車』など多数の資料が保存されている。

 先月はこの記念館で『しずか号』と『義経号』の劇的な対面が行なわれた。この対面のために『義経号』は神戸の国鉄鷹取工場からはるばる運ばれ、実際に手宮線を走るなど若武者ぶりを発揮、市民の目を見はらせた。

 いま二台の機関車は思い出深い‶実家〟でより添うように並び一ヵ月の生活を楽しんでいるが、鉄道記念館自体も数十年ぶりに里帰りしたわが子の姿に感激していることだろう。

~小樽の建築 北海タイムス

昭和43年7月24日~8月11日連載より

国指定重要文化財