日章旗が星条旗に変わった終戦と小樽 4
2021年03月11日
今年もまた太平洋戦争が終わった8月を迎えた。早いものであれから44年になる。
外国による日本占領は史上初めてのことであり、その意味で米軍が進駐した当時の小樽に時を戻してみたい。
奥田二郎著「北海道米軍太平記」やサッポロ文庫「昭和20年の記録」には小樽のことも書いてあるので残したい記録だと思う。
それによると、「連合軍の小樽進駐は昭和20年10月5日。第77師団の敗戦部隊が中心の8千人。軍団長はライダー少将、師団長はブルース少将、副師団長はランドル大佐(別に第1・2埠頭及び築港の基地司令はヒッソン少将という記録もある)。午前5時艦艇は小樽に入港。港外に停泊した艦艇は、巡洋艦、駆逐艦はじめ20隻。輸送中隊を先頭に、消防、通信、憲兵、歩兵、工兵が上陸し、埠頭はおびただしい軍用トラックで埋まり、小樽以外の兵はその日のうちに札樽国道を通って札幌に向かった」と記してある。
この日に私は港にいた。短い期間であったが当時は渋澤倉庫に勤めていた。当時の港湾周辺は関係者以外の出入りは禁止であったが、そんな関係で出入りができたのである。倉庫街は早朝からМF(陸軍憲兵)やSp(海軍憲兵)のジープが走っていた。私はその時、社員2名と共に同社B号倉庫詰所にいた。
緊張や不安というより無気味であった。ところが倉庫の眼前にある浜小樽線(鉄道)に長い客車が入り、やがてGI(兵隊)が乗り込んだ時から気持ちが一変した。陽気なGIはワイワイはしゃぎ、窓からハローハローハローと私たちに声をかけた。こちらもハローで答えた。そしてタバコやガム等プレゼントされた。
記録では札幌方面には車で進駐したとあるが列車も利用されたのである。やがて夕方になると、薄暗い曇りの天候も加えて港の周辺は無人のオープンセットのような静寂。数年前の新聞に私はその時の様子を「日蝕のようだった」と語った。
その後、学校にいくため退社したが、その間の一時期に米軍用務のアルバイトをしたことがある。本市も銀行、会社、工場、私宅等が米軍に摂取され、学校の一部も宿舎となった。この年の8月までは色内の銀行街は日本軍隊の暁部隊が使っていたが一変して星条旗がなびいたのである。
三井物産ビル(現在の松田ビル)は米軍司令部基地本部になったが、私が階上で見たものは米軍が没収した日本軍刀の山であった。その隣の机には軍政部通訳の村岸栄子さん(札幌)がいた。常勤かその日だけかは知らないが、和服女生と軍刀の山との対照は異様であった。
1階にはGHQ民事部が置かれ、毛利昭子さん(毛利病院夫人)が通訳として活躍していた。
港の森川漁網工場は米軍ファイヤーステーション(消防)であったが、上官の人が戦前日本のミツワ石鹸を持っていたのには驚いた記憶がある。妙見川の千秋庵の下隣りにある倉庫は木工所に使われたが、ここではノコやカンナが、ひくのではなく押して使うのに戸迷った。
勝納の海員養成所(潮見ヶ丘雇用促進住宅)はパン工場と宿舎であった。この頃は食糧難時代で小樽ではカイホ―メンという変なものや、イモ、カボチャダンゴが主食であった。今は飽食の時代であそこのパンはまずいなどと言っているが、その当時のパンの香りに接した気持ちは今でも忘れられない。
この頃、小樽の港に鰊の群来が押寄せてきたことがある。
東小樽の海辺で市民はカゴや手製のアミで多くの鰊をすくいあげた。私もGHQといっしょに獲ったが、油の強い魚をこのパン工場では更に油をひいて電気焼したのをみておどろいたものだった。
元大阪商船会社(色内1)は米軍病院に使われたが、進駐による性病予防のポスターの図柄が印象に残っている。
進駐軍が気を使ったのは飲料水である。水質検査で良質とわかっていても、日本家屋の台所構造が違うので不安があったのだろう。パーティーには軍の水道車が来たこともある。
この年に内務省が設置した米軍の慰安施設はRAAといった。またRТOという米軍鉄道輸送管理の命によりオタルも駅長さんたちは大変だったに違いない。とにかく「進駐軍の命により」の一言がすべてを左右したのである。
「進駐軍」「いや占領軍」、「終戦」「いや敗戦というべきだ」、「戦後は終わった」、「いや終わっていない」という言葉の交差や、歴史評価の振幅のある中で、少しずつ昭和は遠くなる。
三菱銀行小樽支店(現中央バス事業部)に掲げられていた戦時中の日章旗
渋澤B倉庫 小樽倉庫1・2号、北日本南浜倉庫1号前には今はない鉄道があって、上陸した米軍はこの辺から列車でも札幌方面に向った。(港町5)
この辺?
日本軍の鉄カブト(鉄帽)が米軍のブルトーザーによって地下に埋められたところ(車の下あたり)で異様な光景であった。(港町6)
ここ?
この辺り?
米軍司令部「八」第2基地本部となった元三井物産ビル(中央の松田ビル)右の元海運局(現在中央バス本社)も米軍の宿舎等に使われた。(色内1)
~NEW HISTORY PLAZA ④
小樽市史軟解 第1巻 岩坂桂二
月刊ラブおたる
平成元年5月~3年10月号連載より
お知らせ
その1
明日27日~29日まで
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その2~100回記念大会の今年、南北海道代表校は
小樽の高校です
『応援、よろしくお願いいたします。』
その3~足、すこ~し長距離を歩けるようになりました。
~2018.7.26
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