小樽有情(昭和12年のホステスさん) 46

2019年11月13日

 以前に本誌で、大正時代におけるカフェやバー(現在のスナック、パブ、キャバレー、クラブ)を紹介したことがあるが、今月は今から56年前の昭和12年に焦点を合わせて、小樽有情を回想してみたい。

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 メルボン、モンパリ、さんばし、フジヤ、コガネ、夕ぐれ、マル、パノン、青空、太陽、オーケー、入江、珊瑚、自養軒、つる代、青い鳥、X、ライオン、ナポリ、日輪、イーグル、エゾフジ、中見、イトー、フレンド、かほる、松見、鎌倉軒、江戸っ子、深川、清亀、幸楽、竹柴、てつや、金波、処女林、北斗、祇園、パリジャン、美女苑、ヒヨドリ、かほり、タンゴ、ミフネ、イリフネ、銀茶寮、しきしま、モナミ、ロンドン……(以上紹介した中には割ぽうとかねたカフェもある)

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 それぞれの店が、宣伝のために用いたキャッチフレーズも面白い。「彼女たちはモチ 貴方のアミー」、「豪華なホール 躍動の美給群」、「観興の極致 美女のサービス」、「近代的ラブ 粋人の家」、「国際港の表玄関 サービス第一主義」、「異国的雰囲気 そして古典情調で社交と気分の理想を現実に」、「和楽念願」、「あなたと私の恋の御神火」、「夜ひらく港の花」、「新らしからず 古からず 浮華に流れず 朗らかに」、「赤い花 嬉しい心 白い花 青い花」など多彩でネオンも華燈と表現していた時代である。

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 小樽のカフェの開祖は、明治時代に高橋ビアホールをひらいた高橋久治郎といわれているが、この碑とはカフェ・ナポリを開店している。 昔のカフェについては、よく函館、札幌、小樽を比較する人がいるが小樽のカフェは評判が高かった。札幌の場合は官公吏を含めサラリーマン型の店が多いが、小樽は港湾都市、商工業都市だけあってサラリーマンのほか客層も異なっていたのである。

 それだけに、青白く取りすましていただけでは相手がつかない。はつらつとした中にも「もてなす心」に徹し切ったところに小樽型があったという。それぞれの店には小樽美人といわれた女給さん(現在のホステスさん)が更に人気を呼んだ。店の構造と共に、女給さんの人柄が店の良し悪しを決定していたのである。

 この女給さんたちは、昼間寝ていたわけではない。この年に日中戦争が勃発した。女性たちは銃後の守りということで、昼は出兵兵士を見送ったり、千人針や慰問袋をつくる奉仕活動に励んだのである。

 たとえば、カフェ・日輪ではママさんを始めとし、ホステスさん10数名全員が「すみれ会」という組織をつくり、国防婦人会に加盟して活躍した。そのけなげな姿は、多くの人の共感を呼び、素顔も美しかったことであろう。

 昭和12年にはビックスケールで小樽公園と小樽港を会場にして北海道大博覧会が開催された。小樽を訪れた道内外からの人たちに、良い印象を与えた小樽市民の中に、これらの店のホステスさんたちがいて、その「もてなし」の心が伝わったことであろう。

モンパリ 静江さん(左)と千代さん

~HISTORY PLAZA 46

小樽市史軟解 第2巻 岩坂桂二

月刊ラブおたる 平成3年11月~5年10月号連載より