ある老親方~その二

2017年08月29日

 昭和五年は北海道西海岸のニシン漁は石狩川を境として、南方漁場は一尾の漁獲もなく皆無漁に終わった。当時忍路、蘭島海岸で鰊建網が二十六ヵ統建てられていたが、期待むなしく漁期が終わり、翌六年になると浜に流言飛語が流れ始めた。

「もう忍路の海に鰊が来なくなったそうだ。今年の鰊漁も見込みがないんだとよ」

 この噂が噂を呼んで、毎年鰊漁業を経営して来た人達は一様に、この年の着業を断念した。昭和六年の年に鰊漁業に着業した人は蘭島で二ヵ統、忍路で一ヵ統だけのものだった。

 本間さんは忍路で僅か七人の人数で定置網を建て込んだものの、四月中旬になっても一向に鰊の姿は見えなかった。矢張り噂の通りだったのかも知れないと思うような気になってきた。

 四月十八日は朝から北東の風が強く、海は時化ていた。午後三時ころは海況はますます悪くなったので、揚網をすべく本間さんは中学生のアルバイト漁夫と共に、磯船で垣網の繋ぎ網の外し作業に入った。

 ところが大きな波がきたはずみにアルバイト学生は海へ落ちてしまった。本間さんは少年を一応、磯船に助け上げたものの、ずぶ濡れで寒さのためぶるぶるふるえている。風でも引かすと大変だと枠船のところへ漕ぎ行き、揚網を一時中断し船頭の着ているものを着せ替えして暖を取っていた。

 ちょうどこの時、沖の方から時化のため避難してきた鰈釣り船が二隻、本間さんの方へ向かって

 「オーイ、今かげの蘭島で鰊が乗網して枠回しているから気をつけろう」

 といい流しながら、湾内の方へ入っていった。

 「それっ」と一同緊張して待機していると間もなく鰊が群来(ぐんらい)し乗網が始まった。

 さあ、急に戦場の様にあわただしくなった。僅か七人の人数では仕事にならない。急遽陸の方へ応援を出すように合図のまねをあげ、枠回しの準備を始める。

 もう時化など眼中にない。思えばアルバイト学生が海に落ちなかったらおそらくこの鰊を見のがしたことだったろう。

 建網の中に鰊が乗り始め、約三、四パイ(三、四十石の意味)入ったところで、応援隊が乗組んだ起こし船が、網を起してゆくと、胴網の中間のところで、急に鰊が三分の一くらいに減ってしまった。

 結局枠網に攻め落ちたのが十石くらいに止どまった程度であった。調べてみると胴網の底部が海底の岩盤に引っかかり大きな穴があき、そこから折角乗網した鰊が逃げたことがわかった。

 船頭は早速

 「親方、これでは駄目だ。すぐ応急修理しなければ折角来た鰊を獲れなくなる」

 この時、本間さんは静かにこういった。

 「船頭衆、この穴は神様があけてくれた穴なんだ。有難く思って起こしなさい」

 「どうして神様がこんな穴をあけたんですかね」

 「よく考えてみなさい。この時化に、いくら手伝いの人が来たにせよ、これだけの人数で、もし鰊が厚乗(あつの)りしたものなら二進(にっち)も三進(さっち)もゆくもんじゃない。共倒れで何にもならない。この穴のお蔭でちょうど均衡がとれていけるんだよ。神様が私達を助けてくれたんだよ」

 本間さんからこういわれて船頭も納得し、引続き乗網した鰊を起こし、その夜は明け方まで百石以上の漁獲をあげた。

 さて翌日になると波も納まり、日中鰊は沖の方へ去ったが、夕刻から再度群来し、この時には胴網も復旧し、若い衆も大勢になっていたので、約三百石ほどの漁獲があった。

 この年は本間さんの漁場で合計五百石(三百七十五㌧)を水揚げして、忍路の海岸で万丈の気を吐いたのであった。