小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十四)

2018年05月04日

三 海産商の盛況と鰊不漁の影響

一『その頃海産物の豊富な事は、或る年倉庫の越年在庫を調査した時、板谷倉庫と製缶倉庫丈けで二十四貫入の数の子が一万俵もあったので驚ろいた。鰊粕が二十数万俵を越した事もあった。』

一『その頃の海産商の帳場さんは、いつも黒のばふり(長羽織)を着て、手に大きな指(サシ)を持て颯爽として歩るいて当時商店の小僧達の羨望の的であった。又その連中は月給五円位でしたが彼等は倉庫方面に顔が利いていたのと、時代そのものが大まかであったため、見本とりと称して倉庫内に立ち入り、大きな指を数の子の俵に入れて見本を採り、その半数位を店え持ち返へり、残り半分は金に代えて遊蕩費に当てたといわれている。』