小樽に於ける商人の出現と各種商業の変遷(十)

2024年01月13日

三 海産商の盛況と鰊不漁の影響

 手宮から色内にかけて、これら海産商が軒を重ねていた。大正初期の小樽市の産業報告によれば、「小樽市場より輸出される海産物総額約八百六十万円を算し、内拾万円は外国輸出向の塩乾魚で其他の大部分は鰊身欠、数の子、胴鰊、鰊絞粕、鰊油等で、その他は鱈製品、乾鮑、鮫鰭、海扇、貝柱、昆布、鮭鱒等であった」とあり。此等の海産商の店に入ると、店の隅の土間に桟板が敷かれて、そこに鰊製品や干鱈等の俵や縄で包装された物が山の様に積まれて、一種独特の臭気が鼻についた。入口の土間に小型の木製の椅子が三四脚置かれ、その前の一段高い畳敷の店頭の大きな瀬戸か木の根で造られた大火鉢に主人か大番頭が大きな前垂姿でどっかと座を構え、それに向い合って客や仲買人が椅子に掛けて商談を交わしている。その背後の方に帳場格子が廻されて、帳簿係や小僧が控えているのがその頃の海産商の店頭風景であった。少し重要な商談は次ぎの間の大抵は立派な炉傍で応接され、その場合、妻女が茶の接待をするのが習慣であった。その頃でも香村英太郎とか戸羽亨等の新人の店では、主人も椅子に腰を掛けて洋式の応対をしていた。

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