港・今昔物語【2】
2016年07月30日
かくて防波堤築設
いま小樽港では秋の完成をめざして第三埠頭延長部にインチ材、雑貨用上屋二棟の建築を急いでいる。去年、潮まつりの会場になった埋立箇所だ。続いて水深十二米の第四埠頭も堺町岸壁基部から始まっている。完成すれば道内有数のマンモス埠頭となること必定。
開道後、一世紀たった現代の港湾建設は一度、作業開始となったらあらゆる科学の粋を結集してスピーディな工事が開始される。ところが小樽港のれい明期はどうだったろう。
小樽港はその港湾が広すぎるため、一度西北の強風が吹き荒れると概要からの激浪は高島、茅柴両岬の鼻をめぐって港湾に殺到し、碇泊の船舶を壊すやら海岸の貨物を損傷するやらの上、陸上施設にも甚大な被害を与えた。
明治二十六年には一月十二月の二回に亘り未曽有の暴風雨雪で港内の船は沈没、大破が大半、荷役中の貨物は波にさらわれ、沿岸道路、石垣、建物もかなりの痛手を蒙った。重なる被害に「外海から保護するための防波堤を築くべし」の声が関係者の間にだんだんと高まったのもこのころからだ。
とりあえずのテスト工事は北海道庁直営で明治二十八年から始められた。工費は当時の金で、一万四千六百余円。海底の載荷力、捨石移動、波浪の海底動作、波の高さ、長さ、速力、圧力など測定した。
いつも懐にピストルをだき、責任のいかんによってはすぐ自決できる心構えで工事を指揮したのは広井勇工学博士。北防波堤は明治三十年五月九日着工、十二年の歳月を経て明治四十一年五月に完成した。
南防波堤は伊藤長右衛門技師の担当で、明治四十一年四月に起工、当初の八か年計画が延びて前後十三年かかり、大正十年七月完工した。総工費は五百十七万余円。
そして副防波堤もやがてできあがることになるが、戦後のいま、その防波堤も寄る年波でガタガタになり再び外海の波に洗われ始めたので、カサあげ作業がつづいている。
いまでも小樽港は西北の風に弱い。冬の荒波といわれる日本海に向かった小樽港が雨にも風にもめげず、再び繁栄する方法は防波堤を高くするだけでは不足らしい。
より
この先が潮まつりの会場
ダイヤモンドプリンセスもやってきました
そして今…
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