経度測定の碑
2016年06月15日
=所在・水天宮神社境内=
小樽の市街と石狩湾を眼下に望む社ヶ岡、水天宮神社の境内に高さ約60センチの石柱とスイ(錐)形の碑が並んでいる。一つは経度測定標で側面に水路部、裏面には明治26年10月と刻まれている。他の一つは何号とあるだけで番号が入つていない。展望のよくきくこの境内はいつも人出でにぎわうが、この標識を注意深く見る人は少ない。しかし樺太を抱えて繁栄を誇っていた戦前派にとつては強い郷愁を感じさせる想い出の碑であり、歴史的な記念碑なのだ。
それは樺太の国境劃定に伴い樺太近海の島の経緯度を測定する起点になつたのと、もう一つは菊花の紋章こそないが、本物と全く同じ国境標石なのだ。日露戦争の戦勝国として北緯50度の樺太国境を定めた国際会議が明治39年11月12、13の両日、小樽郵船会社支店(現在小樽市立博物館)の会議室で行われ、協約成つたあと、国境劃定作業員800余人と資材などは全部小樽港から積出した因縁の地でもある。
国境標石は青森県産の花コウ岩で、一基110キロから200キロという重いものだった。一方樺太付近の島の経緯度はグリニッヂ天文台を基本に、稚内、小樽とウラジオストクの3か所が候補地にあげられたが、距離、文化、交通のあらゆる面で、小樽が最適地と決められ、水天宮上の海軍水路部天測点を基点に明治40年8月27日から10月2日正午まで、ロシヤ側と共同観測していつさいをしあげた。
ポーツマス講和条約で「永久に変わらぬ」と誓約した国境線はわずか半世紀の夢となつて永久に消え失せてしまつたが、宇宙法則に基く経緯度の観測点は厳として動かない。一方サンプルとはいえ菊花紋章こそ刻まれなかつたが、ついひと昔前までは国威を映して光彩を放つていた国境標石は一塊の無名碑となり果て、空しく風化にまかせている姿はそのまま〝商港オタル〟の盛衰を暗示しているようだ。
より
14日~16日は
水天宮のお祭り
高島漁港
境内までは
この道(メルヘン広場方面から)
この道(外人坂から)
そして
こちらの道から行けます
やはり
小樽公園までのこの景色はお薦めです
今日、驚いたこと。
図書館に
小樽の観光案内
パンフレットが置いてありました。
『いつも駅か観光案内所でもらっていたんですよ。』
「みなさん持って行ってくれるんですよ。」
『良いアイディアですね。』
(企画された本人のようでした。ガッツポーズをしていました。)
そば会席 小笠原
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