大昔、小樽湾なんかなかった。(二)

2016年03月12日

 で、小樽で一番古いとなれば厚手の縄文土器群で三千年か五千年前と思われる。

 そうした時代はアイヌ民族かコロポックルか、それとも多民族かとなれば学説が色々ににぎやかになるが、コロポックルは今日では諸説にすぎないというのが定説である。というのは北千島にまでアイヌ民族の祖先がいたことが実証されたからで、コロポックルがアイヌ民族におわれて北方へ消えたという説がなりたたないからだ。

 奈良朝前後、となれば千二百年前くらいだが、道南地方に肅慎の歴史的事実が認められても、その詳しい事はさっぱりわかっていない。学説もツングース系とアイヌ民族の二説に分れる。一方、住吉神社裏山、、水天宮山はアイヌのチャシ(城)だったとの説もあり、貝塚や竪穴住居跡も市内で発見されているが、わからないのは古代文字。まず富岡町と山田町の古代文字は漢字とか女真文字などの説があるが、手宮洞窟のは墓碑、記号、文字、コロポックル文字、アイヌ人の家譜、イタズラなど主張も多岐多彩にわたるだけで依然不明。いったい誰が、いつ頃、なんのために?

 いかがです、ちゃちな古時計をさがすアンティークよりもキミやあなたに通ずるかも知れない古代の大先輩のおもかげを探ってみては?

(写真は小樽市史より)

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