私とフランス鴨
2016年03月03日
合鴨を日本で使ったのは、じつは私が最初である。話があまりにも唐突で、驚かれた人もあるだろうが、仔細を語れば次のような次第である。
これもまた大森に店を出していたときの話である。私の「刺客」の一人、水彩画の丸山晩霞先生が、昭和十一年にフランスへ留学するにあたり、「オヤジ、三年くらい向こうにいることになるが、みやげを先に送るから望みのものを言ってみろ」と言う。そこでフランス料理の「タネ鴨」を所望したところ、彼の地からフランス鴨を二つがい輸入してくださった。
私は、ある経済団体のお偉方のところでフランス料理の鴨をご馳走になり、日本の真鴨とはまるで違う味のよさに驚いたものだった。その頃までの日本の鴨は、肉にクセがあり、独特の臭みがあった。ところがフランス鴨にはそういうイヤなところがない。そこで、丸山先生がフランスへ留学されるというからには、ぜひフランス鴨を頼もう、となった次第である。
輸入していただいた二つがいのフランス鴨は、岡山のさる農家に飼育を依頼した。自然飼育にして、穀類は化学肥料を使わないものをエサとするように、岡山の依頼先へ伝えておいたが、これが鴨肉の味をよくする決め手である。
-あれから五十年、いまや合鴨は日本全国に普及したが、その元はなんと、私が円山先生に頼んで輸入していただいた、あの二つがいのフランス鴨だそうである。「そうである」とは、ひとから聞いた話だからだが、敗戦後のドサクサが間に入ったために、近年の合鴨の普及と、私が戦前使っていたフランス鴨とは、私の頭の中で直接結びついていなかった。ところが先年、東京の調布にある「西府農場」の小島社長が来訪、「あなたがフランスから輸入された鴨は、いま私の農場で大量生産され、好評を博しています。お礼にまいりました」とのこと。委細を聞くに及び、これには輸入した本人の私のほうが驚いてしまった。
戦前は、岡山の農家に飼育を頼んだものの、数が少なくて、一年のうちでも正月しか使うことができなかった。現在の用語法に従えば、日中戦争の最中に大森の店をたたんでから、ハッキリおぼえているところでは、昭和十六年に埼玉・大宮のそば小屋で、東京美術学校(現在の東京芸大)で図案を教えていた島田先生がそば会を催された折に一度、鴨を出したことがあった。それから、洋画の田辺至先生が上野の博物館裏、「六窓庵」でそば会を開かれた折にも鴨を使った。
戦後、栃木県足利でそば屋を再開してからは、築地の「鳥上」から合鴨を入れ、「鴨南蛮」に、またそば会に鴨を使ってきた。これもまた、あのフランス鴨であった。
◎「鴨南蛮」の作り方
①鴨の脂を少量のフライパンにとり、ねぎを炒める。
ねぎは味の良いものを選び、四、五センチに切って使用。白いところだけでなく、ことに冬場は青いもところも混ぜたほうがよい。
炒め方は、少し焦げ目がつく程度。
②タネ汁を煮立て、炒めたねぎ、薄切りにした鴨肉を加える。
③かも肉にだしが通ったら、火を止める。煮ている間に鴨肉のアクが浮いてくるので、ていねいな仕事では黒ずんだ泡をとる。
④客席に出す直前に粉山椒を振る。
山椒を使うのは、鴨肉の臭いを消して食味をそそるためである。胡椒は意外に合わない。
そば会席 小笠原
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