“勝った夜”を行く提灯行列長蛇の陣
2016年07月06日
露艦に脅えた小樽
列強監視のもとに毅然立つた若き牡獅子これこそは想ひおこす卅年前の潑剌日本の姿だ、國民の血は熱湯と沸り忍従の堰を断ち切つた怒りは火と燃えて強敵に打ち勝つた文字通りの非常時。さればこそ古今に絶する大捷を博することが出来たのである。
斜陽うすく射す、高墓の閑寂な
雅趣に充ちた部屋、回顧三十年
前を語るは住吉神社々司
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物情騒然といふ言葉がちょうどあてはまる當時の「みなと小樽」二月の初めからは沖合には監視船があらはれ高島、祝津の要所々々には監視哨が設けられる、リユーリック、グロンボィ等の露艦が盛んに出沒して商船を脅かしてゐたものだ「奈古浦丸」が撃沈された時の小樽なんといふものは上を下への大騒ぎだつた。「露艦が美國沖を通過して北上した」といふので札幌へ避難する者、食糧を携行して奥澤方面へ逃れるもの大混雑だつた。
露艦が小樽へ入港すれば當然石炭や糧食を掠奪するだらうといふので手宮の貯炭に火をかけてやき拂つてしまはうとしたといふ話しもある。當時の區長は二代目の山田吉兵衛さんで、相當膽の太い人だつたが家族を残らず避難させて自分も逃げ支度をされてゐたが大體がこんな状態で今にも小樽が兵火の洗禮をうける樣な戦々恟々たる日が續いたわけです。
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ところが露艦は影も見せない。開戦の結果は連戦連勝、號外が出る度に全市ひつくりかへる樣なお祭り騒ぎ、提灯行列が連夜続いた時もあつた。露軍に致命的な打撃を興へた遼陽の大戦捷の報道があつた夜の如きは十數町の大行列が練あるいたものです。忘れもしないその日は小樽市空前の大火のあつた夜で、行列がまだ終らないうちに稲穂町から發火、全市の大半を烏有に歸した。一人あるきも危儉な烈風中の猛火は凄愴そのものだつた。復興は意外に早かつた。戦争の翌年だつたが聯合艦隊來訪の折は完全に立派な町並みとなつてゐた。
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戦捷の喜びの影には本當に涙ぐましい話があつた。私共の知人で出征した人の大半は名誉の戦士を遂げた。戒衣に、赦顔に戦陣死闘のあとを刻みこんだ凱旋勇士を迎へて感激して泣いたあの想い出は近く郷土の精鋭を迎へることとなりて新な感激となり惻々として迫るのである。
カットは陸軍凱旋観兵式記念繪葉書に捺した小樽郵便局の記念スタムプ
~小樽今昔ものがたり(下)より
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