越後屋のおとうさん
2022年05月08日
花園中央会
現在の国道5号線
●438年前のルーツ
「越後」という苗字から、私は新潟県出身と思われるかもしれませんが、実は石川県羽昨郡末森村字米出から先代越後久左衛門が明治28年に渡道しています。しかし当家に伝えられた話では、この越後姓はそもそも戦国時代の上杉謙信に仕えたところから始まっているということです。
越後の上杉が天正4(1576)年能登国を支配下におくべく出兵した際、私の先祖も先兵として能登国の進駐軍的な一員となり、そのまま住み着き、苗字を許される身分になったとき、故郷を偲んで越後としたのではと思われます。ですから元をたどれば新潟がルーツとなるでしょうか。
●現存最古
久左衛門は来樽後祝津学校で学び、今の入船1丁目の道銀支店向かいにあったイチマス舛田商店(陶器・雑貨卸問屋)の丁稚小僧となりました。日露戦争時に歩兵として入隊、除隊後の明治39年にまた舛田にお礼奉公し、明治44年に現在地の向かい側に独立出店しました。小売りは当家だけでしたので、この辺では一番古いですね。
当時の住所表示は「畑14番地」で、公園館という大きな映画館の裏は山でした。また当時は想像を絶するほどのバラックでしたが、樺戸集治監の建て替え時にもらい受けた材木で建てたという話を聞いています。
現在の花園中央会一帯は近江出身の秋野薬局の始祖秋野音次郎氏が大地主で、冷蔵庫もない時代でしたので、野菜や果物などの生鮮食品を販売する商店を、西日の当らない西側(国道の山側)に誘致するという先見の明があったと聞いています。越後屋陶器店は大正年代に西側に移転しています。食品ではありませんが、主に食品を入れる器が主でしたので、秋野さんが勧めてくれたのだと思います。
~小樽中心商店街の歴史逸話より
越後屋のおとうさんです
大正時代製作のカネキュウ越後屋陶器店の暖簾と袢纏
明治時代に特注した越後屋陶器店の南部鉄瓶 星金物店寄贈品
後でわかったのですが、越後屋さんのおとうさんと初めてお会いしたのは2014年6月27日市立美術館主催彫刻メンテナンスの時でした(背広を着ていました) 白老へも一緒でした
『とても若く私と同年代かと思っていたんですよ
小樽は、ゆっくり ゆっくりと人生を積み重ねるところかな!』
野口・秋野氏顕彰碑
『2015年(H27年)12月31日 今年も今日でおしまい。たくさんの出会いがありました。良い年をお迎えください。』
そば会席 小笠原
北海道小樽市桜2丁目17-4電話:0134-26-6471, 090-5959-6100
FAX:電話番号と同じ
E-mail:qqhx3xq9k@circus.ocn.ne.jp
営業時間:10:30~21:30
定休日:月曜日