流芳後世 おたる 海陽亭 (九)
2016年01月14日
『中広間の棟』その1
中広間は、1922年(大正4年)に建てられたが、棟梁など建築に携わった者については不明である。
玄関のある階を基準にすると、基準階より上部分は2階建、基準階より下部分は1階建のいわゆる“吉野建て”である。(奈良県吉野地方に多くみられるのでこの名が付いた)基準階より下の部分は法律上は“地階”とはならないが、混乱を防ぐためここでは下部分を“地階”とよぶことにした。
地階 納戸、和室10畳(床の間付き)、前室5畳、和室7.5畳
1階 玄関、ホール(建築当初は和室)、浴室、便所、和室10畳
2階 中広間、床の間、回廊
この棟は、開陽亭では大広間に次いで広い棟である。
中広間の棟は大正時代に建てられ、中広間の天井には今も当時のガス灯が吊られている。
この中広間は、明治時代に建った大広間の棟と調和した建て方となっており、小屋組も大広間と同じ〈キングポスト〉を用いている。
広間を取り巻く回廊や疎組子の明り障子の欄間など、あくまでも大広間の棟と一体となるよう配慮されている。
既にあった130畳敷の大広間のほかに1、2階上下に二つもの70畳敷の中広間を造るほどに、この頃の海陽亭は賑わったのであろう。
花柳界の賑わいはもとより、この頃の小樽の進取栄華は、国内は無論アジア、ヨーロッパ、樺太にまで及んでいたのである。
このような時代に建てられた中広間であるが、建築様式としては特筆すべきものが見当たらない。
しかし、この度の調査により、この棟の小屋裏から棟札が発見された。
この棟札は、海陽亭でみつかった唯一の棟札である。
この棟札によると、中広間の棟は1915年(大正4年)5月に岡山県備中高松にある、最上稲荷からお札を頂き棟上げされている。
この棟札には『大正四年五月大吉日 宮松 竹次郎 宮松 幸子 祈主 久遠院法順』と書かれている。
しかし、普通、棟札に書かれるはずの棟梁の名が見当たらない。このお札には、宮松竹次郎の名前の下に、“開運満足足祈者也”と書かれている事から、建物の安全だけを祈願したものではないのかもしれない。
この当時の海陽亭では日蓮宗の流れを汲む最上稲荷と岡山発祥の金光教の教えを信仰していた。中広間が建った頃、海陽亭で盛大な冠婚葬祭が度々とりおこなわれている。この身内の儀式はどれも極めて盛大で信仰心が厚いことが伺われる。
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