安達市政と今は亡き忘れ得ぬ人々 (一)

2015年08月30日

 「人との関係を大切にすること」は安達市長のモットーであった。公務で出張されると必ず訪問先の礼状に添え書きをして発送することや、帰樽すると必ず「留守中はいろいろ有難うございました。昨夜○○時帰樽いたしました。ご主人によろしくお伝え下さいとの市長伝言です。」と市議会の各派幹部やそのときどきの懸案事項に係わりのある人々に電話をかけるのが秘書係の任務であった。あるとき、市長に随行して上京し、たしか食糧庁だったと思うが某課長に面会陳情の最中、安達市長からの前回上京の折の礼状が届いて、「○○の件何卒よろしくお願いします」との追伸をその課長が読み「小樽市長さんの毎度毎度のご丁寧なご挨拶状には私は敬服しています。其れも一寸でも関係のある部下一人一人に頂いてみんなでいつも感心しているんですよ」との感想表明をうけ、安達市長の常々いわれている「礼状を忘れないように、早く丁寧にお願いしてきたことをさらに添え書きせよ」というちょっとした心くばりが長い間に大きな力になるものだとの印象を深めたのである。

 上京すると同じように「市長は本日○○便で上京します。主な用務は〇〇陳情ですが日程は〇〇日までの予定ですのでご連絡しておきます」と先発の随行員が主要な人々に連絡するとともに、北海道庁東京事務所(歌舞伎座向い旧弁松ビル)の連絡黒板に安達市長の在京日程と連絡先を記入させてもらうのが最初の仕事であった。その時点で「市長に会って是非相談したいことがある」とか「市長の都合がよければ○○省・○○会社に案内してあげたいが」という在京各界の人々から連絡されることが結構あったように記憶している。当時の出張というのは、随行員が汽車で先発し、市長が空路でというパターンであり、市長はこのように四方八方に在京中のアンテナを張りめぐらし、本当に三十分でも一時間でも「市政に関わりあること」に自ずから限られた時間をフルに活用しようと努められた。たまに東京での仕事であり午后四時三十分頃にその日の予定コースを消化したのでこれでいよいよ宿舎に帰れるのかと思うと「君、公僕は五時までは勤務時間だぞ、市長は夜だって遅くまで働かなくてはならないのだから、三十分あれば○○省へ行ってみよう」と車を走らせる。この僅か三十分の訪問でも思わざる成果をあげられることが多かったようであり、市長自身が出向くという姿勢が中央省庁の好感を得たのではないかと思う。

 こういう安達市政の中で市長が蔭に陽に頼りとし、また各般に亘って重要な役割を果された「多くの人々」がおられたが、すでに亡くなられた方々についてのつながりを記録すべきであり、このことを安達市長も望んでおられるに違いないと考えるのである。

~安達与五郎追悼録 安達市政回顧より